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こういうのを作れるのがNetflixなんですかね:映画評「Mank/マンク」

「市民ケーン」の共同脚本家ハーマン・J・マンキーウィッツ(マンク)を主人公に、「市民ケーン」の製作の裏側を、ハースト、ハーストの愛人(マリオン・デイヴィス)、オーソン・ウエルズとの複雑な関係・軋轢を軸に描いた作品。
映画「市民ケーン」のスタイルをかり、当時画期的と言われた技術も駆使しながら、「市民ケーン」を語りつつ、現代性もしっかりあるという、意欲的な作品になってます。
さすがですな、デヴィッド・フィンチャー。


基本的構図は「オルガンを弾く猿」であるマンクが、「市民ケーン」という作品で自分をコケにしたハーストに一矢報いる…って話なんですよね。
「市民ケーン」は「映画史上最高の傑作」とまで言われるようになったんですから、その意図は見事に達せられたともいえます。


そういうストレートな話を、凝った構成と革新的な技術、素晴らしい演技で彩った…ってだけじゃなくて、その裏に複雑な人間関係と機微を抱えてるってのもあります。
マンクとハースト、マリオンの関係って、単に「道化師と王」ではなく、確かにそこには「友情」に近しいものがあるんですよね。
特にマリオンとマンクには「市民ケーン」の脚本が出来上がってもなお、そういう雰囲気があります。


「市民ケーン」自体、
「とんでもない暴君が転落した。自業自得だ、ザマーミロ」
って感じじゃなくて、ケーンへ感情移入し、一片の哀しみを共有できるような流れになっています。
そのことはマンクのハースト、マリオンへの複雑な感情の現れであり、それを本作でも描いているのではないか…。

まあ、これは僕の勝手な感想であって、作中ではそんな風に言及はされてないんですけどね。


いやはや実にレベルの高い作品ではあります。
欠点といえば、
「43歳」のマンクを演じるのはゲイリー・オールドマンは老け役メイク過ぎるwってのと(演技は素晴らしい)、
マンクとハースト/マリオンの関係に焦点が当たりすぎてて、もう一つの軋轢であるマンク/ウエルズのトラブルがあまり描かれない割には、ラストが二人の「対決」になってる収まりの悪さ
くらいじゃないでしょうか。


エンタメ性という意味では「市民ケーン」の視聴を含め、「事前勉強」が必要ってのもありますかね。
<権力者の横暴(社会主義者の弾圧)><フェイクニュースによる扇動>といった「現代」にも通じるテーマに関しては当時の政治運動に対する基礎知識が必要です
そこら辺、この記事が参考になります。


こういう作品、やっぱ劇場公開をベースに考えると、なかなか製作には躊躇しますわね。
今更、権力者側からの妨害工作とかはないでしょうけどw、商売になるかどうかは、ナカナカ読めないですから。(事前知識が必要な映画ですし)
そういう意味じゃNetflixらしい作品。
いよいよ「役割分担」が進んでいく感じだな〜。

娯楽大作:劇場公開
文芸作品:ストリーミング配信

それが映画業界全体のとっていいのかどうかは、なんとも言えませんが。
ま、僕には「ありがたい」んですけどw。


#映画評

#mank

#netflix


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