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続きは来年?マジかよ…:映画評「スパイダーマン:アクロス・ザ・スパイダーバース」

前作の「スパイダーマン:イントゥ・ザ・スパイーダーバース」は傑作アニメにして、最高のスパイダーマン映画でしたが…
やべぇ。
更新してきましたよ、コレ。


前作から数年。
スパイダーマンとして活躍するマイルス・モラレスは、スパイダーマンとしての活動と両親との関係に苦慮している。
一方、別次元に帰還したグウェン・ステイシー(スパイダー・ウーマン)もまた、警察署長である父親との軋轢を深め、遂に決定的な事態から父親の元を離れ、スパイダーバースの仲間たちの元へ行くことを決意する。
マイルスはスポットというヴィランと戦い、彼を捕まえるが、その彼の元に別次元に去ったはずのグウェイが現れる。
友情を確認し、共感をし合う2人。
しかしグウェンにはこの次元に来た別の目的があった…


前作でエッジの効いたアニメ表現の数々を見せてくれたシリーズですが、本作でもその冒険心に変わりはありません。
どのシーンもアート的な表現を盛り込みながら、きっちりエンタメとしての論理も一貫させているという、驚くべき離れ業。(登場する「スパイダーマン」それぞれの背景となるトーンを持ち込みながら、共存させつつ、物語の展開に沿ってエモーショナルを掻き立てるアニメ表現を産み出しています)
このシリーズ、これを見るだけで価値があります。


加えて物語のテーマ。
「大いなる力には、大いなる責任が伴う」
はスパイダーマンの根幹にあるテーマですが、もう一つ。
「決定的な悲劇に見舞われ、その犠牲が彼を<ヒーロー>にする」
という点があります。
スーパーヒーローの場合、多かれ少なかれこういう側面はあるのですが、主人公が思春期の少年であるスパイダーマンの場合、そのインパクトがかなり大きい。
マルチバースを扱った「スパイダーマン:ノーウェイ・ホーム」が感動的なのは、彼(ら)を襲ったその<悲劇><犠牲>に対する後悔を乗り越える姿が描かれるからでもあります。


<悲劇>を乗り越えることで、彼らは「スパイダーマン」となった。
だがその<悲劇>は<必然>なのか?
<悲劇>なくして、彼らは「ヒーロー」とはなりえないのか?
その<悲劇>がこれから起こることが分かったとき、その<悲劇>に見舞われることを見逃し、<犠牲>を現実としなければならないのか?
…そういう決断をした者が、本当に「ヒーロー」と言えるのか?


マルチバース(パラレルワールド)とタイムパラドックスのミクスチュアによって生じる「悩み」なんですが、確かに悩ましい。
<悲劇>を回避することによって、パラドックスが生じ、そのバース(世界)が崩壊する可能性も生じることを考えると…


どうする?マイルス

…以下、続編。
マジ?

個人的には前作からグウェン・ファンなので、彼女には幸せになってほしいな。
マイルス&グウェンのカップルも、初々しくて良いです。
とにかくアニメ作品としては突出した出来だし、実写のMCU作品と比べても勝るとも劣らない。
スパイダーマン好き、アニメ好きなら必見。
…来年までフラストレーション溜めることになっちゃうけど。


#映画感想文
#スパイダーマンアクロスザスパイダーバース

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