見出し画像

祝福のスフレ・オムライス。



先日、年に一度の定期検査で引っかかってしまった。


例年通り今年も太鼓判をもらえるかと思いきや、女子アナみたいに綺麗な女医さん(マスク姿なので半分は想像)はエコーのカメラを私の身体に押し当てながらうーむ、うーむと唸りつつ首を捻っていた。 患者を前にうーむ、とか唸らないで欲しいなあと思いつつわたしは見て見ぬフリに徹していた。 けれどついに「画面を見てもらえますか。」と美人女医に促されてしまった。 小さなモニターの中には何やらモニョモニョとしたイレギュラーの影が映っていた。これがちょっと気になるので生検してみましょう。と美人女医は言った。 

 はい、お願いします。と答えたものの、これは大丈夫だという確信があった。 今回はわたしの中にあるセンサーが振れていなかった。前回手術に臨んだ際にははっきりと自分センサーが振れて、体内に自分以外の何かが生息しているのを感じたのだが、今回はその感覚がまったくなかった。 念のためこの先の近未来を想像してみた。次に遠い未来も想像してみた。いずれも恙無い映像が見えた。未来の像にも翳りなし。これは大丈夫だと思った。 

 そうは言っても生検後の2週間、結果を聞くまでは多少ふわふわしてはいたのだけど。


 そして今日、朝一番で病院へ向かい結果を聞いてきたのだった。 問題ありませんでした。とこないだとは別の若い女医さんから笑顔で告げられた。

 問題がなければ診察はあっけなく終わる。病院を後にして更に午前中にもう2つ用事を済ませても時間はまだ11時だった。 確信していた結果とはいえ、とりあえず祝いたかった。打ち上げ会場を探そうとデパートのレストラン街へと迷い込み、つい今しがた店を開けたばかりのオムライス屋さんへ一番乗りして一皿1100円のスフレオムライスを注文した。

患い経験者であるにもかかわらず自分の身体のことにつけてもズボラで、こういうことでもなければ未だに健康のありがたみに感謝することができないでいる。 健康な人は多くを望み、病人はただひとつを望む、というようなことわざを聞いたことがあるのだけれど、まさにその通りである。もっと大事に生きなきゃいけない、と今日このタイミングであれば思える。明日のことはわからないけれど。


お待たせしました、と言う店員さんの声と共にスフレ・オムライスなるものが目の前に運ばれてきた。"スフレ"と名が付いているからには当然のことながらオムレツがスフレ状にフワフワシュワシュワしていた。口の中で蒸発してゆくオムレツをスパーンで口に運びながら、これなら普通のオムライスの方がいいなぁと思いつつヨロコビと共に噛み締めた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?