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書記の読書記録#72「エロ事師たち」

野坂昭如「エロ事師たち」のレビュー


「戦後文学の現在形」にて紹介された本。


レビュー

お上の目をかいくぐり、世の男どもにあらゆる享楽の手管を提供する、これすなわち「エロ事師」の生業なり――享楽と猥雑の真っ只中で、したたかに棲息する主人公・スブやん。他人を勃たせるのはお手のものだが、彼を取り巻く男たちの性は、どこかいびつで滑稽で苛烈で、そして切ない……正常なる男女の美しきまぐわいやオーガズムなんぞどこ吹く風、ニッポン文学に永遠に屹立する傑作。


名前は知っていたが,野坂昭如の作品を読むのは初めてである。当時は作家のみならず広範囲のタレント的な存在だったようだ。

本作はデビュー作だというが,既に安心して読める滑稽さが感じられる(新人らしさというか,危うさがない)。自らをエロ事司と名乗る「スブやん」とその周辺の人々。戦後と現代をつなぐ部分として見逃せない。

解説を先に読んだのだが,なんと澁澤龍彦の文だった。「ひたすら観念のエロティシズム,欠如体としてのエロティシズムにのみ没頭する一種独特な性の探求家」と評している。

全体的に,悪趣味だがユーモアが散りばめられていて,読んでいて面白い。


ある種タブー視される「臭いもの」の描写が,何気に多いのではないか。何気に,というのは,特に情感込めたわけでもなく,気を惹きつけようという意図も感じない,にも関わらず,時間の流れの中に存在感をズシンと構えていることから。

堕胎と水葬が軍隊ラッパに乗せられて,死骸の脇で麻雀しながらオナニー体験談で盛り上がって。グロテスクを吹き飛ばしかねないおかしさがそこに横たわる。しかし時代を考えると,焼けた灰を纏い生きる人々なのであり,ある種の慣れともいえる。


不謹慎ではあるがどこか下品なりの論理を感じさせられる。

p146「〜そやけどエロ事師の本領はなんというても女やで。〜みんな女房もっとる,そやけどその女房では果たしえん夢,せつない願いを胸に秘めて,もっとちがう女,これが女やという女を求めはんのや。実際にはそんな女,この世にいてえへん。いてえへんが,いてるような錯覚を与えたるのが,わいらの義務ちゅうもんや。〜目的は男の救済にあるねん,これごエロ事師の道,エロ道とでもいうかなあ」

ちょっと前にインポだと言われた人間の口上と考えると余計にツッコみたくなる。しかも死んでからようやくビンビンにたったし。


サド侯爵が高らかと読み上げるようなものを,本作の語りでは大阪弁の会話と地の文の交錯でうなっている。それにしてもスブやんは,人々に夢(?)を与えるごとに自身の欲求が遥か向こうに遠ざかってしまっているようだ。かすかに逼迫しているような気もする。

性そのものへのアイロニーというか,ある種人生そのものへのアイロニーを感じた,特にオチ。終盤のパーティでの人物紹介なんかは「ソドム百二十日」を想起せずにはいられない。エロティシズムの観念自体は過去の文学作品にあるテーマであるが,こうも透明な文章は中々ないかもしれない。変に美化しない,悪趣味に誠実,そこが良い。


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