じいちゃんの命日に違うじいちゃんを夢に見た-すずころ日和 祖父-
私にはじいちゃんが2人いた。
なんてことはなくて、父の父。母の父。
よくある2人のおじいちゃん。
はじめに一番年上の母の父が亡くなった。
95歳。1月4日。
忙しいお正月を避けたのだろう、あの人らしいね。。
母が話していたのが忘れられない。
最後に会った身内は実は私だった。
1月2日。
新年の挨拶に、車に当時幼児と赤ん坊の子どもと旦那さんを残して、私だけが病室に向かった。
手にはダルマの巾着に和菓子が入った、小さなお年賀を持って。
部屋は4人部屋。
奥のカーテンを開けた。そこには。
酸素マスクをして、手袋をして寝かされた姿。
今まではずっと普通の姿だったのに。
目があって「じいちゃん、きたよ」と声をかけた。じいちゃんは必死に言葉を途切れ途切れはなした。
手袋をはずしてほしい。マスクも外して欲しい。
そう聞こえた。
看護師さんを呼び、要望を伝えたけれどダメだといわれた。
「じいちゃん、ごめんね。ダメなんだって。」
外してほしい。まだそう聞こえた。
ずっと元気だったじいちゃん。一月ほど前には普通にはなせていたのに。
私は身近な人を無くしたことがなくて。
人の死、それがわからないはずなのに。
大好きで何より大事だったタローの最期が重なっていた。
ああ、じいちゃん。ごめんね。ごめんね。
心の中で謝った。最期なんだ、と。近いんだね、と。涙が滲んでくる。
手が痒くて分厚い手袋が嫌なんだよね。外したいよね。
最後だから、もうすこしでもの措置、これを外してあげたい気持ちと。それを除けることを孫の私が強く要望したらいけないのでは。という葛藤と。
じいちゃん、ごめんね。外しちゃダメなんだって。あのね、またくるからね。外に子ども待たせてるから、行くね。
そう伝えて、じいちゃんは軽く頷いて。
ほとんど聞こえなかった。口が動いて、言ってくれた言葉。
ありがとう。ありがとう。
お母さんによろしく。
ほんとはほとんど聞き取れはしない。でも、じいちゃんはそう言ってくれたと思う。
もうこの時点で必死に泣いているのを悟られないようにしていた。
病院からの帰り道、私は涙が止まらなかった。運転をしながら目からとめどなく流れてくる。
じいちゃんは生きている。でも。
わかった。感じていた。ああ、最後なんだ。
じいちゃんはもう、亡くなるんだ。
そばにいたいよ。なんで母乳なんだろう。赤ん坊の我が子。
グズグスと泣きながら、無言で運転している私を夫は優しく頷いてくれていた。家について、ワンワン泣いた。
母に連絡するべきなのか。
じいちゃん、もう最期だと思う、と。
わからなかった。
人が死ぬ間際を知らない自分。
なのに、もう涙が止まらなかった。
その2日後、じいちゃんが息を引き取ったと母から連絡があった。
2日に会いに行ってたことは伝えたけれど、詳細は話さなかった。
母によろしく、と言っていたと思う。それだけを伝えた。
孫それぞれが県外からも通夜に飛んできた。皆、大人だけど誰もが大泣きした。
誰もが自分を一番大事にしてくれた。そう自負しているくらい、全ての孫に優しい祖父だった。
その通夜で、私は泣かった。
笑顔で話しかけれた。自分でも驚くくらい、涙はもう2日に全て流していた。通夜であったじいちゃんは穏やかで、やっと解放されたんだね。という思いと、あと2日ならやはり手袋を外してあげたかったという後悔と。
母に「会いに行って」と伝えなかったのはよかったのか。迷い。
最後に会えた、というありがたさと。
きっと従姉妹たちはわたしを薄情にみたのではないだろうか。
色々な思いが交錯して、赤ん坊の我が子を抱っこして参列した。
自分と同じ8月に生まれたひ孫。
お腹も撫でてくれて、生まれたら抱っこもしてくれて。
とても喜んでくれたね。子どもが大好きなじいちゃん。ありがとう。
そんな大好きなじいちゃん。
なぜか、その2年後に亡くなった父方の祖父の命日である昨夜に夢にでてきた。
起きて気づいた。今まで夢に出てきたことなんてなくて。
亡くなって丸9年。久しぶりに会うじいちゃんはリアルだった。
当の命日のじいちゃんは出てこなかったし、出てきたこともない。
でてきたじいちゃんは、元気だったころのように歩いて私を買い物に連れて行ってくれて。
なぜか海の向こうに浮かぶ島をさして、白い壁に区切られた土地。
「あれは皐月の土地として用意してたんだ」
え、そうなの?じいちゃん、土地持ちだったの?
その土地は波打ってうねうねして、とても利用できない。そんな土地。
それを横目でみて、じいちゃん行きつけの商店街へ行く。
ずっと波打つゆらゆらした店内。みんな転けそうになりながら暮らす土地。
家に帰ると、ばあちゃんが布団を敷いてくれていた。ああ、今日は泊まるんだ。
目覚めて、ぼうっとした。
初めてだ。
夢にでてくれたの?
ああ、復職の日にちを決めた夜。
もう1人のじいちゃんの命日の夜。
優しい大好きなじいちゃん。
理由なんてないのかもね。
ただね、リアル感があって。
私すごく嬉しかったよ。
これは私だけの中にしまっておくんだ。
母にも言わない。
色々と思い出したよ。
最後のお菓子のダルマの巾着。そのまま置かれていたんだ。
あの巾着だけは、もらえばよかったかな。
いや、思い出だけでいいや。
もう十分残ってるね。
ありがとう。会えて嬉しかった。
たまに、また会いにきてね。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。大正8年生まれの祖父。
今も大切な人。
夢の話で、恐縮です。
では、また。
皐月
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