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思い出「深夜の我が家」

【写真植字】

18歳の時。

デニーズで働いていた。

この時、深夜帯の勤務で、帰りは毎日朝9時過ぎだった。

朝家に帰ると、いつも母親が写植の仕事をしていた。

写植とは、「写真植字」の略。

これは、黒いガラス版に透明にくりぬかれた文字をフィルムに転写する物。

そのフィルムに転写した文字を、写真の様に露光すると文字が出る。

当時は、テレビのテロップなどに使われていた。

この仕事が、母親の仕事だった。


【もうろうと見える目的地】

おれは、この日も深夜勤務で帰ってきた。

そうすると、母親にお使いを頼まれた。

フィルムが無くなりそうだから買ってきてほしいとの事。

俺は、クタクタに疲れた体に鞭打って、買いに行く事にした。

当時、写植のフィルムは、秋葉原に行かないと手に入らない。

仕方なく、原チャリで秋葉原に買いに行く事にした。

意識がもうろうとしながら、原チャリで出かける。

秋葉原まで片道15分かけて、買ってきた。

そして、無事おつかいを済ませた。

俺は、食事もせずに風呂に入って即寝てしまった。

余りにも疲れていたので、食事をする気力もなかった。

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【時代の流れ】

次の日は、仕事が休みで、死んだように爆睡してしまった。

寝た時間は、昼12時頃。

起きたのは、夜9時過ぎ。

9時間も寝続けてしまった。

俺が起きたら、まだ母親は写植をやっていた。

仕事が多くて終わらないのだろう。

当時、文字の媒体は、もうワープロに変わりつつあった。

その為、写植が出来る人は、もうほとんど居なかった。

でも、まだ写植の需要は少し残っていた。

母親は、絶滅危惧種の写植職人で、仕事が集中して来ていたのだ。

そのお陰で、まだ仕事量は凄く多かった。

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【豪傑寺一族】

俺の、この日の仕事はお休みの日。

暇だから、深夜なのに友達の家に押し掛けた。

そこで、友達と話をしゲームをして遊ぶ。

でも、友達は昼間の仕事なので眠くなり、先に寝てしまった。

帰ってもやる事が無い。

俺は、そのまま友達の家で、ゲームをし続けた。

やっていたゲームは「豪傑寺一族」。

このゲームを7時間位やり続けて、全面クリアーした。

もう、超感動的だった。

この難しいゲームを、クリアーできて感無量だ。

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【大団円】

この後、友達が朝起きた頃、俺は眠くなり家に帰る事にした。

家につくと、母親が写植をやっている。

この時間は朝7時ごろ。

珍しく、ずいぶん朝早くから仕事をしている。

母親に、今日は珍しく朝から仕事?

と、聞いて見たら、写植をミスって0からやり直していると答えた。

つまり、夜中一睡もしないで前日から写植をやり続けていたのだ。

何故こうなったのかと聞いてみた。

そうしたら、写植は1文字ミスると全部最初からやり直しになるらしい。

どうやら、4万文字書いたのにミスって、全部やり直しになったみたいだ。

俺は、この時写植の恐ろしさに血の気が引いた。

この日は、機嫌が悪い母親には触れず、そそくさと風呂に入り寝た。

この後、俺は昼頃に1回起きて母親を見た。

そうしたら母親は、写植機の椅子に座ったまま寝ていた。

上を向いて、大口を開けたまま…。

でも、無事に仕事が終わったようで良かった。

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