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田辺元の「死の哲学」

日本思想を語る上で欠かせないのは、もちろん見方にもよるが、例えば福沢諭吉、中江兆民、西田幾多郎、和辻哲郎、九鬼周造、などはさらりとあがる。

ちょっと偏ってみると、柳田國男(毛色が違う)、吉本隆明(マジか?)、柄谷行人(微妙か?)、中沢新一(人によっては怒るか?)、東浩紀(アンチが多そう)、千葉雅也(ファンです、頑張れ〜)などが、するっと(?!)挙がる。

だが、なかなか田辺元は入らないと思われる。西田の影に隠れて、しかも主著が『種の論理〜』など、今で言う人種というNGワードを想起させたり、しかも『懺悔道の哲学』なんて、マニアックな本を晩年に出してしまったり、まあメインストリームには乗らんだろう、と思わせる田辺だが、ところがどっこい、その思想たるや骨太で気合いが入って、結構アナーキーである。特に流行りの「生の哲学」全否定で、妻の死を契機として、「死の哲学」を構想して、その話を次の恋人に宛てた長い手紙で長々と書いてしまう、そのあたり。風呂は41-42度でないと、入らんとかいう面倒臭さと、知的誠実さと、晩年の恋人へのべったり感。まあ、ある意味典型的なのかもしれないが、明治、大正、昭和を背負った、優秀なダメ男感があって、色々と考えさせる。

西洋の有、存在、実有、実存の思想。それに対する東洋の、さらには日本の無の思想。そんな対立がよくなされてたわけだが、その中でも独特の味を放ってくれる、田辺の哲学的営為。ヨーロッパの哲学を真っ向から受け止めて、精一杯誠実に日本的な反論を加えようとした田辺。生ではなく、死。哲学が知ることのできないものとして、うっちゃってきた、その死と無の領域に、翻訳語、西洋文化と東洋文化のスーパーハイブリッドとしての翻訳語を駆使して、あるいは創造して、突っ込んでいくその振る舞い。

東京出身で京都で思索を重ね、軽井沢に隠居した、その感じについ惹かれてしまうのか。はたまた冒頭の2枚の写真、若かりし頃の洋装、その日本的骨格が口髭と微妙にズレてるところ、そしてじいさんになってからの侘気な和装と世間ずれしてしまうところ、和とも洋ともつかず、それを何とか統合するもどこかへ流れていってしまいそうな危うい知的冒険。

その感じがなんとも気になるのである。

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