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パラ五輪と蕎麦

パリのパラ五輪は閉会式をやっていますが、五輪の開会式、パラ五輪の閉会式は共に雨でしたが、競技中は天気に恵まれ幸いでした。

こんなニュースもあり思い出すことがありました。

私は長野の五輪とパラ五輪ではボランティアを務めました。とても良い経験でしたが、パラ五輪では選手村に入り、書道の大家にご縁があり、その助手として多くのパラ五輪選手に筆で字を書いてもらうというのをやったのです。その先生は

1998年の第7回冬季パラリンピックでしたからもう26年前ですね。
それで間の一日に戸隠神社に行きました。長野から路線バスで戸隠中社まで行き、そこから奥社までお参りしました。このパラの時は、3月上旬でしたが、割と暖冬だったので路肩には雪はありましたが、道路にはあまり積もっておらず、比較的楽に奥社まで歩いていきましたし、平日だったのほとんど観光客もおらず。道中ほとんど人と会わなかったこともあり、戸隠神社、特に奥社の荘厳な雰囲気を堪能しました。
奥社からまた歩いて中社に戻りましたが、さすがに腹ごしらえをしよう、戸隠と言えば、と目についた蕎麦屋さんに入りました。
その蕎麦屋が「大久保西の茶屋」だったらビックリですが、実際は逝ったのは「うずら屋」さんというお店。

人気店のようですが、前述のようにあまり人もいなかったのですんなり入り、直ぐに頂くことが出来ました。
確か天ざるの大盛りを頂きましたが、まことに美味しかった。色々舌と胃袋、そばは喉もかな?で味わって思ったのは、ここは水が良いということでした。もちろん蕎麦自体も美味しいのでしょうが、それを3月の寒い時期に冷たい水でさらしたざるは本当に美味しかった。
それ以降、蕎麦屋さんは「水」と意識するようになりました。

ただ最近は年のせいか、冷たいものはお腹に来るので、温かい蕎麦と冷たいのは半々かな?時間があればざるに蕎麦がきという合わせ技をオーダーしますが、絶対蕎麦は冷たいほうが美味しいと思いますが…

さてパラですが、選手は確かに障害は持ってはいますが、スーパーアスリートです。その姿に感嘆するばかりですが、またこの大会によりそのスーパーアスリートだけでなく、あらゆる障害者にとって人間として暮らしやすい街かどうかという検証、モデルを提示する場でもあると思います。
パラだけでなく国体とセットで開催されるパラ国体の開催地もまた同様。ただ私の経験では、大会のために設備されたものの多くは仮設。もちろん残るものはありますが、大会が終わるとあっさり撤去されてしまいまい、残念でたまりません。
たくさんお金を使った東京パラはどうだったのか、パリはどうなのか。

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