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マリーンズ応援団はベートーヴェンか

クライマックスシリーズのパ・リーグの第三戦凄い試合でした。

結局はソフトバンクの藤本監督の勝負弱さだったのかなと思いますが、見ていて3点リードの10回裏にはケガもあったけれど柳田、甲斐、三森が交代だったということは、完全に守りに入っていたということで、同点スリーランが出た段階でもう一度ひっくり返すメンツではなかったように思います。
試合というのは終わるまでわからないというのをまざまざと見せつけたような試合でした。
サヨナラの場面でのライトの谷川原からセカンド川原、バックホームもわずかに一塁側に球が流れたこともありますが、これも柳田→三森が代わっていたことと無関係とは言えますまい。

しかし一番の勝負弱さは、ZOZOマリンスタジアムで戦わなければならなかったこと、間違いなくホームの優位性が歴然としていました。丁度NHKのBSで見ていましたので、アナや解説の声なしの副音声で聞いていましたが、もうマリーンズ応援団の応援の凄さは尋常ではありませんでした。

ずーっと声や動きを合わせての応援を4時間しっ放しでしたが、実は私はこういうの好きじゃありません。ライブやクラブでまるでマスゲームのように踊り、掛け声をかける観客。
音楽なんかは自己、自由への開放だから、なんで周りに合わせなきゃいかんのか?そんな感じを持つのです。

先日から読んでいる「ごまかさないクラシック音楽」(岡田暁生・片山杜秀)の中、ベートーヴェンの所に片山氏のこんな言葉が(一部勝手に省略)

「ベートーヴェンの音楽は、このままじゃすまない、何とかしなきゃいけないという時に、必要とされるものが全部、ベートーヴェンには詰まっている。それが、しつこさや音の厚さにあらわれている。音が濁る直前まで和音やオクターブを重ねて、耳が聞こえなかったせいなのか、もっとわざとなのか、ここまでうるさくしないと音楽リテラシーの低い市民は耳を傾けないという割り切りか、もともと精の有り余った人間だったのか、とにかくプラスアルファが異常に多い。
みんなが参加して、それこそ《第九》的な、知らない人と肩を組むとか、手を取り合うとかして、前に進もうとかいうのは、じつは私苦手なんですよね。ベートーヴェンは聴けても、実際に自分がそういう現場に遭遇すると、もう耐えられない
(略)
それをしないと、人間は何しろ社会的動物だから、生き残れない。前に行けないというのも、それはわかりますよ。もう近代人は駆り立てられるしかない。圧力が必要だ。その圧力がベートーヴェンだ。

ほとんど呪いのようなものだ。がんばれ、がんばれと耳元で囁き続けるおばけだ」

この言葉がZOZOマリンのスタンドに重なりました。

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