なぜ神様はこのようなひどい目にあわせるのか
今年の元旦は暖かいスタートでしたが、夕方の能登半島の大地震でお屠蘇気分も吹っ飛んでしまいました。
それでも先日アップしたように、元旦の昼には「大成龍神社」を女房と初詣。
3日は女房と帰省中の娘と「広島東照宮」にお詣りと破魔矢を求め、家の神棚に供えました。
5日は会社の新春祈願で会社の地域の氏神である「広瀬神社」を社員と共に、安全と商売繁盛を祈願のお詣りをしました。
実は廣瀬神社に行く途中にある、廣瀬神社の別社でもある「西恵比寿神社」にお詣りしました。
6日は自宅の地域の氏神の「旭山神社」にお詣りしようかと思いましたが、時間がなく麓からお詣り。
我ながら好きだなぁと思いますが、神頼みというよりは、それぞれの社殿、神様に手を合わせることで、自分の思いを確認するということでしょうか。
古くからある神社はやはり何か雰囲気があります。私は立派な社殿のある神社より、磐座のある神社が好きです。
さて女房と娘は3日に廣瀬神社もお詣り(私は5日にあるのでパス)しましたが、その時おみくじを引いて見せてくれました。びっくり
金ピカというのもなんだ?という感じですが「大大吉」って何?遊び心なんでしょうか、でも信心とは随分距離があるような。
さて信心、神とは何か?について昨年末から何回かオンラインで拝見している「東八幡キリスト教会」の奥田牧師が元旦ミサで紹介された「山浦玄嗣」さんの「なぜ神様はこのようなひどい目にあわせるのか」という話が印象的。ググると要旨がありました。
もしかしたら能登半島でも「なぜ神様はこのようなひどい目にあわせるのか」という言葉の裏に悪意のある質問をメディアがしているのかも。
願いを聞いてくれる、叶わないに関わらず、キリストだけでなく、八百万の神もやはりそこには居るのだと思います。
NHKのBSでやったこちら、カアバ神殿などに巡礼のサヘル初めてムスリムの一神教の信仰も多神、アミニズムの色合いの我が国との違いと共通点を感じる好番組でした。
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