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世界を心で見る

この映画批評は素晴らしいと思います。「Hirayama looks at the world with his eyes, but sees with his heart.」とはまさに。

グーグル翻訳等で読んでもらえばと思いますが、確かにこの映画への評価は見るものの生き方の尺度で大きく違ってくるのだと思いました。
平山のやっている仕事はピカピカの素晴らしいものでもないし、彼の一日の生き方では誰かが祝福してくれるものでもない。もちろん仕事や生き方も日々同じ繰り返し。映画なので何かしらの出来事は発生するが、恐らく1年という期間でみると、日々は変わらず、稀にさざ波が立ってもすぐに収まるような生き方だと感じています。
それは私の生活も一緒で、もちろん何か出来事はありますが、それは週に一二度くらいあるかないか。その出来事も自ら求めて生きる出来事が大半で、久しぶりに誰かが訪ねて来るなんて言うことも月に1・2度あるかないかですから、よく考えたら平山の一日は私とそんなに大差ありません。

私はこの映画を高く評価するものですが、それは日常の繰り返しの上に生活や人生があると実感していること。大きな成果や賛辞、また失敗や非難がまれにあっても一時の波紋で、直ぐに水面は平らかになるようなもの。
今年の元旦には思いがけない大地震が能登で起きましたが、このような悲劇も人生に一度あるかないかの出来事です。
被害にあった皆さんもまた少しずつ平山のような日常に戻り、ある時一日を振り返ってそこに幸福を感じるのではないでしょうか。

日曜日の「こころの時代」は「ご縁がつむぐ 明日への希望」というもので、神戸の長田で阪神淡路、新潟の山古志村で、熊本の地震、福島で原発域内の牛を見らえている方々の繋がりの話でした。もちろん現実には復興に対しての行政の支援はあったと思いますが、この番組で感じられたのは復興するための技術ではなく、再生という生きるための力でした。

ガーディアンのコラムには「木洩れ日」のことも書かれていました。ざあざあぶりの雨や、ぎらつく太陽、雷鳴はそれ自体に存在感があり、こっちを見ろといっているようなものですが、木洩れ日に気が付くのは、平山のようにふと顔を上げて木々の間の光に気づいたり、日差しの暖かさでそこに木洩れ日が差し込んでいることに気が付くようなものです。確かにこの映画は木洩れ日の映画だと思います。

タイトル写真は木洩れ日じゃなくて、朝日さす桃の花です。

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