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ハロルド、5つの後悔、花遍路の三題噺

この映画が面白そうだと思うのは、私も歩くことに興味があるからでしょうか。またハロルドが65歳で定年退職して半年という設定なので、私と年が近いこともあるでしょう。是非見たい映画だと思いました。

ですが広島の上映はまだ先のようなので、原作本を図書館で借りて読んでみました。ビックリするような展開は歩き出しの所くらいで、後はそういう感じだろうな~というお約束的なものではあるのですが、それでも感動します。

歩く所についてこんな箇所が

「この道はクウィーニーを乗せて何度となく走ったことかあるはすだ。なのに、景色のことはまるで記憶に残っていない。たぶん、あのころは、その日の予定をこなすことと目的地に時間どおりに着くことに精いっぱいで、車の外の世界など、緑一色の流れか、ひとつの丘の背景としか見えていなかったにちがいない。けれども、いま、こうして自分の足で歩いていると、人生はこれまでとはまったく違うものに見えてくる。土手の隙間からのぞく大地はゆるやかに起伏し、やがて市松模様の畑地に変わり、それぞれの境界に生け垣や木立が並んでいる。ハロルドは思わず足を止めて目を凝らした。緑にもたくさんの色合いがあることを知って、自分の知識の足りなさをいまさらのように思い知らされた。限りなく黒に近いベルベットの質感の緑色もあれば、黄色に近い緑色もある。遠くで、太陽の光が通りすぎる車をとらえた。たぶん、窓にでも当たったのだろう。反射した光が流れ星のように震えながら丘陵地を横切った。どうしてこれまでに一度もこういうことに気づかなかったのだ?淡い色の、名前を知らない草花が生け垣の根元を埋めつくしている。サクラソウやスミレも咲いている。遠い昔、クウィーニーは車の助手席側の窓からこういうものを見ていたのだろうか?」

丁度図書館で同じ時期に借りたのが「死ぬ瞬間の五つの後悔」(ブロニー・ウェア)でした。

これもとても良い本でしたが、5つの後悔とは

「自分に正直な人生を生きればよかった」
「働きすぎなければよかった」
「思い切って自分の気持ちを伝えればよかった」
「友人と連絡を取り続ければよかった」
「幸せをあきらめなければよかった」

で、まさにハロルド・フライはこの5つのステップに向けて歩きます。

またNHKの新日本風土記で「四国 花遍路」をやっていました。もちろん八十八か所の遍路の話ではあるのですが、八十八ヶ所結願の霊場「大窪寺」の遍路宿の大女将の話は凄かったです。

大女将(もう80過ぎか?)は二十数回も結願されているのですが、一番楽しかったのは18歳のころ娘友だち三人で巡った時、一番つらかったのは16歳の時に1人で行かされた時だったそうです。それを振り返られると、幼少のころから病弱だった彼女は16歳で八十八ヶ所巡りに1人で放り出されるのですが、苦しくて辛くて大変だったそうですが、何が何でも家にたどり着くのだと一月以上かけて結願し、家にたどり着きます。家に着くと母親が「帰って来たんか」と迎え入れたのですが、娘が遍路している間はズーッと元気に帰ってくることをひたすら大窪寺に祈願したとのこと。
当時は戦後の食糧難の時期で、物乞いや野垂れ死にも多くいた時代だったそうで、その中身体の弱い娘を送り出す母親の祈りと決意はすさまじいものだったのだろうと思います。

今回のハロルド・フライ、5つの後悔、花遍路はタイミングよく重なりました。ということは私に歩けということなのでしょうね。

そう言えばちょうど一年前の5月、徳島県の日和佐のゲストハウスに泊まった翌朝、台湾からの歩き遍路のおばちゃんと話をしました。彼女は70過ぎでしたが、朝ゲストハウスに到着して、送っておいた荷物(段ボール箱)を開けて、中から色々備品を出しました。それは足のメンテナンス、薬、ばんそうこう等々、おばちゃんが足の手入れをする間、遍路の話をしました。
「歩きで凄いね」というと「あなたは?」と聞かれたので「仕事のついでに来たけど、八十八ヶ所歩いてみたいな」と答えたらおばちゃんは
「歩きゃいいじゃないの」とバッサリ。そうなんですよね、これも今回の三題噺から思い出しました。

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