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うまっ、あまっ

年末から年始にかけては普段食べないような美味しいものを頂ける機会が増えると思います。

丁度土井善晴氏の「味付けはせんでええんです」を読んでいますが、土井氏は一汁一菜を唱えるようにシンプルなものを丁寧に料理しましょうという話をされます。この本の中に「おいしい」の意味について5つの見方をされて(プロに失礼ながら)感心しました。
その5つとは

1「日常の無事を喜ぶもの」
2「お祝いの喜びを楽しむもの」
3「感性を通して喜ぶもの」
4「本能を楽しませるもの」
5「本能の快楽をともない、視覚・味覚両面の造形を楽しむもの」

というような感じです。「一汁一菜」は1にあたると思いますし、年末年始は2番の「お祝いの喜びを楽しむもの」にあたる「おいしい」ですが、それぞれもう少し細かく説明があります。2については

「行事、お祭りなどのハレの料理。 おせち料理などの伝統的なもの。大勢で、つくることも食べることも楽しみ、労い、自然の恵みに感謝するもの。 変わらない決まりごと。土地を愛し、 故郷を守るもの。」

ということなのですね。この5つの「おいしい」が重なるケースもあると思いますが、その本質はどれなのか食べる時に考えることも大事だと思います。

また「なんでも、かんでも『うまっ』」ってという項では、口に入れた瞬間んに「うまっ」という人のことをあげています。「うまっ」と思うのはそれぞれの自由ですが、それを口に出してしまうとその場を支配、リードしてしまうことになる、という指摘です。土井氏は

「声に出すと、人間の「ものを味わう」という観察の時間は終わるのです」
と書かれ、これもその通りだと思います。

テレビ番組でもこれはしょっちゅうありますし、口にするタレントは口に入れた瞬間に「うまい」そして、「甘い」を多用しますね。肉なんかでも「溶けるよう」というのも定番です。それはあなたの味覚でショ、って思いますし、またそれ以外の表現は持ち合わせていないかという語彙の貧困さを感じるのですが…。

味音痴とか言う言葉もありますが、結局はその人の子ども時代からの舌の積み重ねがその人の味覚でしょう。特に今は地元だけでなく全国からうまい食材が手に入るようになりました。
私は両親が静岡の出なので、朝食には納豆は普通でしたが、中学の頃友だちがとまりに来て納豆を出すと「生まれて初めて見た」「臭くて食えない」というのが大半で、驚いたことがあります。確かにその頃はスーパーでも納豆売り場は豆腐売場の横にチョコッとあるだけでしたね。

でもそういった家庭や地域ごとの「日常の無事を喜ぶもの」うまいを積み重ねて今の私の舌や胃袋があるわけですから、その積み重ねが違う人の評価は一切耳に入りません。特にグルメサイトあたりの得点は、背景が違うのだからなんであなたの評価に影響されなきゃいけんの?と思うのです。まあ井之頭五郎風ですが、自分の足と鼻と舌と胃袋こそ自分の「おいしい」の基準、羅針盤だと思っています。

タイトル写真は焼きカレー、辛っ、熱っ

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