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モスキート会話

先日図書館で借りた「みどりいせき」(大田ステファニー歓人)何とか読み終えました、というか最後のページまで四苦八苦しながらなんとかたどり着いた感じです。

https://www.bungei.shueisha.co.jp/shinkan/midoriiseki/

どうして苦労したのかといえば、一にも二にも独特な文体、文中の会話の言葉、正直聞き取れないという感じでした。これは高齢者に付き物のモスキート音みたいなもので、いわばモスキート会話なのだろうなと、自身を慰めました。

それでも何度か行きつ戻りつしながらでしたが、ストーリーそのものはわかるのですが、結局会話の部分が私にとってはモスキート会話なので、登場人物の心情が今一つよくわからない、行動から推測するしかないのです。

この作品は三島由紀夫賞やすばる文学賞を受賞していますが、三島賞選者の「川上未映子(すばるも)」「高橋源一郎」「多和田葉子」「中村文則」「松家仁之」、すばる文学賞は「奥泉光」「金原ひとみ」「岸本佐知子」「田中慎弥」とそうそうたる作家でありますが、各氏はモスキート会話が聞き取れるのだ、凄い。
なるほど顔ぶれを見ると、こういう「音」に敏感な作家さんばかりだなと思いますが、これは文芸春秋の各賞の選者とはハッキリ違うので、なんとなく「ふ~ん」と思います。
川上氏は選評で

「この青春小説の主役は、語り手でも登場人物でもなく生成されるバイブスそのもの」

と言われていますが、なるほどバイブスというのもよくわかる。それにノレる人は凄く深いところまで行けるだろうし、ノレない私などは呆然とノリノリで踊り狂う人を呆然と見ているだけ。
そんな印象を受けた本。地元紙のコラムにも出ていました。

なるほどね
「複数の選考委員が『分からない言葉を検索しながら読んだ』という特徴的な言葉遣いに加え『文体の構築の度合いがやわではなく、しっかりしている』点も称賛された。」

わたしだけではなかったのか。
私としてはモスキート会話小説は私にとって厳しいけれど、それはいわば時代に取り残されてつつある証拠でもありますから、バイブスにのれない爺様はやはり古典回帰ということになるのでしょう。

さて、この本と並行して読んでいたのが「イラクサ」(アリス・マンロー)でした。マンロー氏が逝去したというガーディアンの記事を読んで図書館で借りたのですが、氏は「短編小説の女王」とかで、下馬評の高かった村上春樹氏を一蹴して2013年のノーベル文学賞を取られた方。

これも9つの短編の本ですが、読んでいてまず感じたのは「達者な作家だなあ」ということ。なんていうのかな基本に忠実という感じを受けます。日本で言えば平岩弓枝タイプなのか。
ただ翻訳なので、どうしても訳者の小竹氏の癖が入っているのかもしれませんが、それでも9編読んでいくと、マンロー節がわかるように思います。

もう1つ氏が現代的だなと思うのは、描写が映像的なこと。読んでいて脳裏にイメージしやすい風景、光景を上手に表現されるんですね。その辺り短編小説の肝をがっちりつかんでいるということはないでしょうか。
こんな追悼もアップされていました。

ただ、読みやすくはあるけれど、大田ステファニー歓人氏のような文体としての冒険はないように思うのです。どちらがいいかではなく、マンロー氏の本はとっつきやすいが、後の発見は少ないのかも。旅行の際にカバンにポンと入れて、道中に読み切る感じ。
大田氏は入りにくいが、繰り返し読むことで分かることもあるのかもしれないが、なかなか食指は伸びないかも。でも旅行の際マクラが替わって寝られない、寝苦しい晩に「手元にはこの本しかないのか…仕方がない、これ読むしかないのか」と、手に取る本なのでとは思いました。

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