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浪のしたの都

この春に山口情報芸術センターで見た「浪のしたにも都のさぶらふぞ」はとても印象に残っています。

これは台湾と北九州の製糖会社の歴史的なつながり、そして台湾と日本のそれぞれの戦争、戦の記憶を人形浄瑠璃とCGアニメーション、ライブパフォーマンスの融合で見せるのもので誠に素晴らしかったことは、その時アップしました。
もちろんタイトルの「浪の下にも都のさぶらふぞ」は源平合戦の壇ノ浦の戦いの戦いで、安徳天皇入水の場面で祖母にあたる二位の尼(平時子)が告げたと言われる言葉、また母親の建礼門院徳子は助けられて京都の大原の寂光院で菩提を弔ったというのは平家物語で有名なお話です。

「山鳩色の御衣に、びんづら結はせ給ひて、御涙におぼれ、小さくうつくしき御手をあはせ、まづ東を伏ふし拝み、伊勢大神宮に御暇ま申させ給ひ、その後西に向かはせ給ひて、御念仏ありしかば、二位殿やがていだきたてまつり、『波の下にも都のさぶらふぞ』となぐさめたてまつつて、千尋の底へぞ入り給ふ。」

というところです。人形浄瑠璃の方は安徳天皇ではなく、武者姿でしたから「見るべき程の事をば見つ。今はただ自害せん」で有名な平知盛かと思いますが。

その安徳天皇の御陵がある赤間神宮に行ってきました。先日も少し書きましたが親戚の病気平癒にご利益があると女房が聞いてきたので車で行きました。私は下関には何度も行ったことがありますが、実は赤間神宮は初めてです。まあ、広島の人間なので厳島神社もあるし、源平で言えば紅組の平家贔屓ではありますから、赤間神宮も親近感の方を持ちました。

ご祈願の申し込みをして待合所に行くとすでに二組ほどおられました。しばらくして本殿から七五三のお祝いの親子連れが4組ほど出てこられ、まあ綺麗なべべを着ていい感じ、そうかそういう時期なんですね。
で、家も含めて3組が呼ばれて本殿に入りました。すると最初に祢宜さんが「3組さんはお繋がりがあるのですか?」と聞かれ怪訝な顔をすると「実はこの3組さんとも病気平癒祈願で来られているもので」と言われました。
さらにそれぞれどういう状態なのか、病院は、投薬は、先生は…等々、差しさわりのない限りでと詳しく聞かれます。一組は胸に腫瘍のようなものがあり、年内に検査があるが…。一組は肝硬変で腹水も溜まり…というなかなか深刻な状態だけに、藁にでもすがる思いなのでしょうか、大祓が始まるともう必死さが隣にも伝わってきました。

ご祈願が終わったところで、神主さんから「実は当神宮は病気平癒等々はPRしたり、HPやSNSでも書いていないのですが、昔からこのご祈願の人が多く来られます。恐らく口コミで広がっているのだと思いますが、前禰宜に聞いたところ『安徳天皇は入水され竜宮に行かれ水天宮様になられている。龍宮は、わたつみの神の都ですから全ての生命体の故郷。さらに海は生みに通じ、海原は生腹(うむはら)に通じますから、再生、復活の意味を持つので、病気平癒にご利益がある』と言われたとのことでした。

なるほど、赤間神宮の目の前の壇ノ浦で入水されたご遺徳がしっかりとあると感じた次第です。

お聞きとげ頂けると信じています。またお礼参りにも伺いたいと思っています。

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