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何者でもない

地元紙の1面のコラムには大学の同窓会についてのことが書いてありましたので、以前も書いたことがありますが、自分の同窓会のことも。

来月6月6日に高校の同窓会をやります。学年の同窓会で、66回卒業生なので、6月6日の語呂合わせ。
実は60歳の還暦の時に計画したのですが、その時はまだ現役なので…と日程調整が出来ず断念。では全員が定年目安の65歳を超えて、66歳になった年(今年)にこれまた語呂合わせでやろうということにしました。
しました、というのは私が幹事役だから勝手に決めたことなんですけどね。

5クラス200人の学年でしたが、今回80名が参加しての開催。残念ながら恩師で残っているのは2人ですが、教えていただいた恩師の当時の年齢も私たちは越えてしまいました。
また同級生で、すでに物故者になった人も11人います。病気あり、事故あり…切ない思いもありますが、卒業アルバムを見ると彼らの記憶は若い時のままの顔。私みたいに66歳の高齢者になった顔で記憶されるのではありませんから、それもまた…。

高校の頃、16歳から18歳というのは「何者でもなかった時代」です。単に1高校生に過ぎず、何も成し遂げてはいませんでした。
高3の時のサッカー班はインターハイに出た学年でもありましたが、それで成し遂げたということでもなかったと思います。

その「何者でもなかった」同窓生が卒業して48年ぶりに顔をあわせます。もちろん合間にあっていた人もいるでしょうし、40過ぎの時に一度学年同窓会をやりましたが、これだけ揃うのはありませんでした。

その40過ぎの同窓会では、現役バリバリの皆さんでしたから「この役所にいる」「この会社にいる」「仕事はこれ」「家庭はこう」「夫が」「息子が、娘が」という「肩書き」の話が盛りだくさんで、実は嫌でした。
卒業して色々なことを経験し、その中でいいこと悪い事もあったと思うけれど、会社とか肩書じゃなくて、今のあなたはどうしているの?という話が出来るのが同窓会の場だったと思っていたのです。

今回ほぼみんなリタイア、セミリタイアした年齢ですから、ようやく肩書じゃなくて「自分は何者なのか」を高校の当時「何者でもなかった」友人同士で話し合う場になって欲しいと思うのです。

だから「自己PRタイムを設けて欲しい」「時間がなければレポートでもアップして」なんていう輩がいましたが、そんなの言いたくもないし、聞きたくもない。ガヤガヤと話をすればよいだけとノープランです。
ただ先日同級生と話をしていて、その友人が、勿論仕事ではなく趣味の延長ですが、「日本画」「書道」をやっているというのを思い出し、高校の頃まったくやっていなかった自分が生み出したもの、手作りのものは持ち寄ってオークションの名目で紹介しようということにしました。

それとは別ですが、先日同級生から「謹呈」として著書を頂きました。

彼にお礼を伝えると、彼はベルリン自由大学に客員研究員として8月まで行っており、同窓会当日は参加できないと返信を貰いました。そのメッセージには

「同窓会は、ちょうど私の誕生日に開催されるようですが、そもそも日本にいないので、出席の可能性はゼロでした。そうでなくても、私は小中高とまったく目立たない生徒だったので、もし出席したとしてもみなさん覚えておられず、「セガワ? 誰?」という感じになったにちがいありません。
個人的なことですが、母校には小~高まで12年間も在籍しましたが、楽しかった記憶などひとつもありません。いつも現実から逃避して、授業中も小説や映画のことばかり考えていました。まさに落ちこぼれでした。」

とありましたが、いただいた本の冒頭には
「18の時にカサブランカを始めてみて、その後1年間で10回以上は観た。そのうちの5回は親友の伊藤昇君と一緒だった」
とあり、あああの二人で見てたのか。と懐かしく思いました。
その瀬川君、高校時代は「何者でもない」だけでなく「落ちこぼれ」と自虐的に言っていますが、あれから半世紀たって「何者」かになっているではないですか。そういうのを6月6日に「そうか、そうなんだ」と話し合いたいんです。

だから早稲田に入ろうが、どこに入ろうが、彼はまだ「何者にもなったわけじゃない、何者にもなっていない」はずだったのに、一足早く「犯罪者」になってしまったのはお気の毒なこと。


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