「とても眺めのよい座敷牢」鈴木鹿(31枚)

〈文芸同人誌『突き抜け9』(2015年5月発行)収録〉

 決死の思いで地球へと帰還した宇宙船のようにひとひらの雪が掌に着陸。それをきっかけに、ああ、寒い寒いとエーイチは身を縮めて、部屋に入ろうと回れ右をする。実際に寒いと感じたかどうかは重要ではなくて、というか実はとっくに寒いと感じていて、芯から冷え切っていて、ただ、寒いからといってすぐさま部屋に戻るには惜しいほどにこのバルコニーからの眺望はまったく見飽きることのない素晴らしさで眼下に広がるのである。後ろ髪を引かれながら窓をからからと開けて暖かな部屋に入る。眼鏡が瞬時に曇るがそのままにする。掌の上の宇宙船はとっくに消えて乾いている。
 冷たい感触の余韻を握りしめながら、やがて白に覆われる都市の遠景を想像する。上手に漂白されたような姿はこの季節だけのものだ。年に一度だけ。二度目の雪ではこうはいかない。初めての雪でなければあんなにも劇的な変化はつかない。毎日だらだらと白いだけではエーイチの心は動かず、短時間のうちに起きる大きな変化にこそ動く。眼鏡のレンズが温まってきて室内にかかった白い靄が部分的に晴れてくる。伸びた髪をかき上げる。指の間を通る白髪混じりはまだ冷え切っている。
 窓際のテーブルの上のマグカップを手に取り、口をつけると意外とまだ熱くて、また眼鏡が曇り、けれど今度は瞬時に晴れる。時間は平等に流れたはずなのにエーイチの熱だけが奪われて液体の熱が奪われていないことに不思議な気持ちになる。不思議、ということもない、まあ当たり前っちゃ当たり前のことではあるのだが。保温性の高いマグカップ。まったく技術の進歩というやつはちょっと見ない間に著しい。ちょっと、ほんのちょっとなのに。
 マグカップをテーブルに置いて椅子に腰かけ、窓の外、さっきまで立っていたバルコニーの向こうを眺める。空には雲が広がっているがさほど厚くはないのだろうか、太陽が沈みかけているのが光の加減でよくわかる。太陽はエーイチの視線が真っ直ぐと伸びた先で都市の向こうに落ちていこうとしている。見とれる。
 本を読もうとして適当に開いたページの文字が一つも読めずに初めて部屋が真っ暗なことに気がついて、電灯を点けようと立ち上がり、部屋のドア付近まで歩くが、スイッチに手をかける前に立ち止まって振り返りると、窓には灯油ストーブの炎だけが映り込んで不気味な影がゆらゆらと揺れていて、その先には無数のスイッチがオンされた結果としての膨大な都市の煌めきが広がっている。部屋のスイッチをオンした直後にその煌めきは窓の向こうに消えて、明るい部屋の全景を黒い窓が映す。カーテンを引く直前に皺の増えた顔が見える。しゃっ。
 こっ、こ、こん。手慣れたノックの音と同時にエーイチは空腹をおぼえ、部屋のドアがかちゃりと開いてヒゲバアが食事を乗せたトレイを片手に入ってくる。ほかほかの白いごはんとみそ汁と、肉と野菜がそれぞれ少々。昨日と同じではないけれどほとんど同じ夕食がテーブルの上に運ばれる。
「降ったわね」と、ヒゲバア。
「降ったね」と、エーイチ。
「今年は、早かった? 遅かった?」
「ちょっと遅いかな」
「そう」
「うん」
「今夜は冷えそうだわ」
「だろうね」
「毛布、一枚、出しておくわね」
「ああ、お願い。あと、明日の服も」
「もちろんよ」
 茶碗と木椀と皿を二つと、箸置きに箸をセットして、空のトレイを小脇に抱え、伸ばした白い顎髭をひと撫で、ヒゲバアは部屋の外へ去る。かちゃりとドアが閉まるのを見届け、聞き届けてからエーイチは椅子に座り、いただきますと手を合わせ、許可されている速度でゆっくりと空腹を満たす。少量ずつ、よく噛んで食べる。箸と食器が触れる音だけが薄く室内に響く。ごはんやみそ汁や肉や野菜といったものと、歯や舌や唇といったものと、意識がどちらを対象としているかが渾然としてわからなくなってくる。箸を置き、ごちそうさまと手を合わせ、椅子に背をもたれて食後のテーブルをぼうっと眺める。ヒゲバアが再び部屋に入ってきて、畳んだ毛布をベッドに置いて、食器を下げて部屋から去る。
 ポットからマグカップに熱い茶を注いで、さっき読もうとして読み始めてもいなかった本を手に取り、ソファにどっかりと座る。本はエーイチが生まれるより以前に書かれたものしか読むことを許可されていない。それでも読むものがなくなってしまうという心配はまったく不要だから、速度を緩めることなく読書に耽る。世界の有様と意識の有様を楽な姿勢で味わい、たばこの煙のように思考をくゆらす。自然と眠くなるまでくゆらし続ける。ゆらゆらと心地よい足取りでベッドの脇の引き戸の向こう、トイレ、洗面所、風呂場の集まる小部屋の電灯を点け、ちょっと眩しくて目が覚めそうになるのを薄目でこらえ、水垢ひとつない浴槽に湯を張り、その間に歯を磨き、用を足し、風呂に入り、ゆらゆらと浮かぶ自分の体を眺める。風呂から上がり柔らかいバスタオルで体の水気を拭き取って清潔なパジャマに袖を通す。簡単に日記をつけてから、温めた体が冷めてしまう前にベッドの中に潜り込む。昨日と比べて毛布のぶんだけ重くて落ち着く。


 しゃっ。カーテンの向こうには漂白されたばかりの都市が太陽の下で輝いていて、予想以上の仕上がりに満足してからパジャマのままでストレッチ、じっくりと筋を伸ばして、その後に自重を利用した筋トレを少し。それから洗面所で歯を磨き、髭を剃り、顔を洗い、柔らかなタオルで拭う。少しの寝癖をブラシで直して、クローゼットを開けて、糊のきいたシャツに袖を通して折目のついたズボンをはいて、初めて目にする薄手のカーディガンを羽織る。肩と腕とを締めつけすぎず緩すぎず、完璧にフィットするそれは長く愛用しているブランドの今季の新作に間違いなく、けれど黒というのは初めてで、エーイチは小さく驚く。
 着替え終わったところで朝食一式をトレイに乗せたヒゲバアが迷いのないスムーズな足取りで部屋に入ってくる。
「積もったわね」
「積もったね」
「すぐとけちゃうだろうけどさ」
「だろうね」
「カーディガン、いいじゃない」
「黒いね」
「見りゃわかるでしょ」
「黒しかなかったの」
「そうなの、最近どこの服も黒ばっかりよ」
「そうなんだ」
「そうなのよ」
 衣服は季節ごとに新しいものを着ることを許可されているので、自分で選ぶわけではないものの、むしろ自分で選ぶことがないからこそ、世の中の空気を毎朝、袖を通すたびにほのかに、自ずと感じることになる。人間は鼻や口だけでなく皮膚でも呼吸しているというから、このことは心身にとってちょうどよい刺激になっている、といえるかもしれないとエーイチは考えている。
 ヒゲバアが部屋を去り、エーイチは椅子に座り、背筋を伸ばして、いただきますと手を合わせる。ごはんとみそ汁と焼魚と、納豆と味付海苔を、許可されている速度で食べる。ただ寝て起きただけの朝でも空腹は必ず訪れる。空腹が必ず訪れるということをエーイチはとても尊く思っている。ヒゲバアが食器を下げて、入れ替わりに熱い茶の入ったポットと保温性の高いマグカップをテーブルに置いていく。エーイチはマグカップに茶を注いで、マグカップを手に持ったままで窓を開けてバルコニーに出る。
 気温は決して春や夏のように高くはないが、雲はなく、風もほとんどなく、食後の身には心地よい涼しさが黒いカーディガンを撫でる。マグカップの湯気が白く色濃く浮き出て、口をつければ眼鏡のレンズが曇るがすぐに晴れる。眼下に広がる風景は想像していたよりも遥かに劇的な変化で、エーイチは胸の奥がわくわくしているのを感じながらも、それを声に出して叫んでしまうような年齢でもないので、ぐっと抑え込み、茶をちびちびと喉から胃に落として、いっしょくたに味わってしまう。
 昨夜と今朝の差は明らかで、それはエーイチが夜を徹して眠っていたからにほかならない。今日、日中の時間をかけて目の前に広がる白はじわじわと失われていく。夜を徹して漂白剤に浸け置きされたシーツは人の垢によってくすんでいく。まだらになる。汚れる。肉眼ではとらえきれないほどの遅さで。それを眺め続けているのも悪くはないが。バルコニーの手すりの上にマグカップを、落ちないようにやや気をつけて置く。手すりに寄りかかって、マグカップから上り続ける湯気と白い都市を交互に見て過ごす。黒いカーディガンのおかげで暖かい。太陽の光を吸収している感触がある。
 部屋の中ではヒゲバアが掃除をしている。テーブルを拭き、棚の埃を落とし、ソファに掃除機をかけ、床を掃く。その一連の動作はまったく無駄がなく繰り返された行程はぴかぴかに磨き上げられていて、急ぐそぶりも見せずあっという間に終わる。「汚れる前に掃除すれば汚れない」がヒゲバアの口癖である。バルコニーの方へやってきて、部屋に空気を通すために窓を全開にする。外がどんなに寒かろうが暑かろうが、たとえ短時間であっても一日一回は必ずそうする。エーイチはそのままバルコニーにいる。ヒゲバアはベッドの脇の引き戸の向こうへ行って、無駄のない完璧な動作でトイレ、洗面所、風呂場を拭き上げ、使用済みのタオルや衣服の入った籠と掃除道具一式を手に部屋を引き上げる。
 茶が冷めたところでエーイチは部屋に入り、窓を閉める。二杯目の茶を注いで、昨晩読み終わらなかった本をベッドの枕元から拾い上げ、最後まで読み切る。ヒゲバアが昼食の焼きうどんを運んできたと同時に空腹をおぼえ、食べる。ソファにもたれて食休みをする。だんだん部屋の中に射し込む陽の光が強くなってきて、気持ちよいが、暑くなりすぎたのかややのぼせてしまって、灯油ストーブを消す。消しても充分暖かい。カーディガンを脱ぐ。CDを一枚、棚から選んでかける。音楽もまた本と同じように生まれる前のものしか許可されていない。本にせよ音楽にせよ、生まれる前というのは制作・発表されたのがという意味であり、エーイチがまさに手にしているそのソフトそのものの販売時期のことではない。エーイチが生まれる前にはCDというものが存在しなかったわけで、それでは困ってしまうから。紙の本は再生機器が必要ないから昔に販売されたものでも問題ない。電子書籍というやつでも別に構わないのだが、小さくて軽い端末の中に何千冊も入ったところでどこかへ持ち運ぶわけでもないので。
 コンピューターは許可されていない。インターネットも許可されていない。携帯電話はもちろん電話も許可されていない。テレビもラジオも許可されていないが、映画は生まれる前の作品に限って許可されており、部屋にはテレビ放送の見られないモニターと、DVDプレイヤーと、VHSのデッキがある。しばらく鑑賞していないけれど気が向いたら見るかもしれない。許可されているからといって別に見なくても問題はない。
 室温がほどよく下がったところで安定して、窓ガラス越しのぽかぽかとした太陽に炙られながら、うつらうつらする。眼鏡を外す。ちょっと頑張れば眠ってしまえるところを決して頑張りはしない。最高に快適な時間のひとつである。アコースティックな音色のアルバムは再生を終えているが、そのことにエーイチは気付かない。
 真っ暗闇の中で目が覚めて、冷えた体を震わせてくしゃみをひとつする。うすぼんやりと明るい窓際に立つと、都市にはすっぽりと夜の帳が降りて、その下の白がいったいどうなってしまったのか見ることができない。しまったな、とエーイチは呟いて、けれどたいした落胆もせずに淡々とカーテンを引き、部屋の電灯を点ける。灯油ストーブも点ける。
 夕食を済ませた後にベッドに横になり、食休みをして、そのままベッドの木枠とマットレスの間に手を突っ込んで、エロ雑誌を取り出す。エロ雑誌は許可されている。エロに関しては生まれる前のものという制限は設けられておらず、最新のコンテンツが許可されている。ただしパソコンもインターネットもないので、事実上許可されているのは最新のエロ雑誌とエロDVDである。常に最新の雑誌とDVDが供給される仕組みになっている。雑誌は本来許可されていないがエロに関しては例外的に許可されている。エロマンガや官能小説、写真集は生まれる前のものしか許可されていないのだが、生まれる前のそのようなものを必要としないので読むことはない。なんにせよエロに関しては細かい。大切なところだから。
 とはいえエロ雑誌をぱらぱらとめくりながら、かつてほど心も体も動かないのは事実であって、それは加齢のせいと片付けてよいものなのかどうかエーイチは判断しかねている。心も体も動かないとしてもまったく差し支えないのもまた事実であるのだが、寂しいか寂しくないかという気持ちの問題である。なのでなんとなく、暇を見つけてはエロ雑誌をめくる。最新のエロに目を通す。最新のエロを通して最新の世界を吸収している。なんとなくベッドの木枠とマットレスの間にねじ込む。別にそんな必要はないのだけれど、そこに手をさしこんだときのひんやりとした感触は好きだ。


 本棚には百年日記がある。一つの見開きに一つの日付が割り振られ、百個の空欄が用意され、そんな見開きが三六六ある。それなりに分厚くてそれなりに大きくてそれなりに重い冊子。毎日それを、決して爪先に落としてしまわぬように幾分かの緊張感を抱きながら両手で本棚から抜き出してテーブルの上で開く。書く内容は特に決めていないので、その日に考えたことを書くときもあるし、特になにも考えたことがない日には、天気や、食べたものや、読んだ本、といった事実のみを書き付ける。紙幅にたいした余裕もないので概ね簡潔に書き付ける。この百年日記だけ、筆記することを許可されている。筆記には鉛筆だけが許可されている。刃物は許可されていないので手回し式の鉛筆削りを使っている。週に一回程度よく尖らせて揃える。鉛筆が短くなってしまったときにそれを持ちやすくぎりぎりまで使いきるための補助軸の使用は許可されている。インクというものは種類によって年月を経ると退色してしまうが鉛筆の文字はかなり確実に残るのだと以前、何かの本で読んだ。読んだことを書いた記憶が微かにあるのだけれど、それがいつのことかはわからない。
 見開きが黒く埋まるにはまだまだだけれど、かといって白くて恥ずかしくなるようなほどでもない。過去の日記を自分で意識して読み返すことはほとんどない。ただ、その日の日記をつけるときに、前の年の同じ日にどんなことを書いていたのかが自然と視界に入ってくる程度である。それが面白いときもあるし、面白くないときもある。たまに、同じ日にほとんど同じことを書いていることに気付くときもある。それが面白いときもあるし、面白くないときもある。
 いつからこのような日々が続いてきたのだろうかとその始まりに思いを簡単に馳せられるほどくぐり抜けてきた時間は短くないし、いつまでこのような日々が続いていくのだろうかとその終わりに思いを簡単に馳せられるほど残された時間は短くない。本当にそうだろうか、とよぎる考えをエーイチは軽くいなして、ポットからマグカップに茶を注ぎ、百年日記を本棚に注意深くしまう。古本のようにぼろぼろの小説を手に取って読み始めようとするが、奥付を見るとそれはエーイチが生まれたほんの数年前に刷られたものであるらしいことがわかり、そのぼろぼろさに妙な感興を催してしまう。冒頭に戻って読み始めるがほどなくして頭が前後左右に揺れ出して手は本を支えていられず床に放り出しそして最後には眠ってしまう。


 いつも変わらないはずの食事の味付けが変わったような気がしたのはある春の日の朝食で、ヒゲバアにその旨を告げてみると「醤油がすごく高いのよ、最近」ということらしい。
「醤油を使っていないってこと?」
「使ってないわけじゃないのよ、でも、前ほどたくさん使わなくてもいいようにしてる」
「薄味ってこと?」
「薄味っていうか、でもそれで味気なくならないように、ダシとか、旨味とか、いろいろと」
「そうなんだ」
「結果的に減塩になって、体にいいかもよ」
「へえ」
「口に合わなかった?」
「いや、そういうわけじゃないけど」
「よかった、よかった」と、ヒゲバアはにかっと笑い、白い顎髭を撫でたかと思うと、ぐっ、と腕まくりをした太い右腕を、左の平手でぺちぺちと叩いて見せる。いい音がする。
「醤油だけじゃないわよ、いろいろ変えてるの」
「ああ、そうなんだ」
「高くなっても買えるものはまだいいんだけど、もう手に入らないものもあるしね」
 ヒゲバアの去った部屋で昼食の焼きそばを食べる。許可されている速度でもそもそと食べる。熱い茶は、そろそろ冷たい茶に変えてもらおうと思う。思うけれど思うだけで、食器を下げに来たヒゲバアには何も言わないでいる。
 バルコニーに出て火照った体を少し冷ます。太陽はうららかだけれど風が吹けばまだほのかに冷たくて、その温冷のブレンドがエーイチを飽きさせない。都市は、都市であるとはいえしっかりと春の色彩に変わっている。緑と、ときどきピンク色がこんもりしているのが見える。そのこんもりとしたピンク色の下では宴会でも催されているのだろうかとエーイチは想像するが、きょうびそんな習慣がまだ残っているものなのかどうか自信はない。少なくとも最近のエロ雑誌やDVDに、その習慣が登場しているのは見たことがない。
 この色彩はとても美しいけれど、この色彩がずっと続けばいいとエーイチは思わない。それはエーイチが思いを馳せる範疇にはない。そのような、自分がコントロールできないことに対して一喜一憂することは随分昔から許可されていないのである。どのぐらい昔からだったかはもう忘れてしまった。日照時間が長くなったぶん夜は短くなっていて、それは都市がきらきらと光輝く時間も短くなっていることを意味する。それもまたエーイチにはどうしようもないことであるし、そのようにバランスがとられ、帳尻が合っていくものなのだなあとエーイチはただ思うばかりである。
 青い空を飛行機が横切っていく。以前はそんなに見ることのなかった飛行機の姿をよく目にするようになった気がする。都市の一帯にまんべんなく飛行音を行き渡らせるのがバルコニーからはよく見える。一度部屋に戻り、音楽をかけ、窓を開けたままにして再びバルコニーに立ち、手すりにもたれて音楽を楽しむ。音楽がこのバルコニーから都市の一帯にまんべんなく行き渡るのを想像する。


 夏は夜、とエーイチが生まれるかなり前の人が書いていたのを読んだけれど、それは今でも変わらないだろうか。かの地ではきっと昼間はやたらと蒸し暑く、夜になれば幾分かはましになるのだろう。太陽が沈めば気温が下がるのはひとつの道理であるけれど、地域によって気候というものは大きく異なるであろうしそもそも冷房が効いているのが当たり前な現代においてそれでもやはり夏は夜だといえるものなのだろうか。夜の都市の輝きは他の季節と何ら変わりないし、それはそうで都市の輝きというのは人工的なものでしかないのであるし、なんなら空気が凛と澄んでいるぶん冬のほうがそれは美しい姿に見えるのではないだろうか。それでも夏は夜だろうか。都市の真ん中を流れる川の向こうに小さく、大きな花火が打ち上げられているのを見下ろしながら、まあ、これはたしかに夏の夜にしか見られないかもしれないな、と思う。
 ぐう、と腹が鳴る。保温性の高いマグカップの中でとうにぬるくなった麦茶を一口、大切にすすって喉を潤し、光とまったく一致しない音を耳に感じながら花火が開いては散っていくのを眺めている。静かになって随分と暗い都市の輝きを眺めているうちに窓の中から人の気配がして、振り返るとヒゲバアが姿を現している。手にするトレイにはいつもと同じ、ほかほかの白いごはんとみそ汁と、肉と野菜がそれぞれ少々。それに、冷たい麦茶と氷を入れた魔法瓶。それらがテーブルに置かれていく様をエーイチは、冷房を効かせるために閉めきった窓の外から黙って見ている。ヒゲバアがエーイチの方を見て手を止め、エーイチもヒゲバアの方を見て、ややあって、ヒゲバアは部屋を出ていく。エーイチは部屋の中へと入り、許可された夕食をもそもそと食べる。ゆっくりと空腹を満たす。
 百年日記をテーブルに広げ、鉛筆を手に持ったままでエーイチは体の動きを止める。最初に違和感をおぼえたのはもう何回前の、どの季節のことだったろうか。エーイチは思い出すことができないし、百年日記を丹念に見返せばもしかしたらわかるのかもしれないけれど、その違和感をそもそも書き記しているかどうか定かではないし、その年月日を突きとめることに特に興味も意欲も意味もない。目を落とした今年の今日の書くべき空欄の周辺の、何年前かはわからないけれど今日の日に、エーイチの字で「夜景の美しさ/この明るさは何でつくられているのか/暗い気持ちになる」とあるのが目に入る。今日埋めるべき空欄に花火のことを簡潔に記す。見開きは全体的に黒く見える。
 首の後ろがちくちくして、着ている半袖Tシャツを脱ぎ捨てる。半裸のままでベッドに寝転がり、手をさしいれたベッドの木枠とマットレスの間のひんやりとした感触だけは変わらない。エロ雑誌を抜き出してページをめくる。ものすごく可愛らしい女性ばかりで心と体が動く。腹を出したままで眠ってしまう。


 都市は全体的に赤々とした光に包まれて、たいそう美しい。エーイチの顔もおそらく赤々と照らされていると思うが、自分では見えないのでわからない。バルコニーの手すりに手をすりすり、右足の爪先で左足のふくらはぎを掻くと、爪先とふくらはぎと、どちらも冷たくなっているのが、爪先とふくらはぎでお互いにわかる。そろそろ長ズボンと靴下をはかなくちゃいけないなと思う。あるだろうか。
 古くて温かいけれどアップテンポで激しくて、体が勝手に動き出してしまいそうな音楽が部屋の中から漏れ聞こえてきて、指先が手すりの表面にリズムを刻む。かつんかつんという音は誰の耳にも届かない。微細な振動としてエーイチの指にだけ反作用が返ってくるのみである。マグカップのぬるい水を飲む。ぬるいがきれいな水道水は体温とそれほど大きな差がなくて、体に入った感じがしないが実際はやさしく体にしみ込んでいっているのだろう。都市はいつまでも赤く、エーイチは飽きもせずに眺め続ける。
 アルバムが再生を終えているのに気が付いて部屋に戻ると、こっ、こ、こんとノックの音が響き、ヒゲバアが昼食の乗ったトレイを手に入ってくる。窓を開けたまま、外気が流れ込んでくるままにして着席する。
「赤いわね」
「赤いね」
「こんなこと言うのもなんだけど、きれいねえ」
「うん」
 テーブルの傍らで、眩しそうに目を細めて赤く染まった白い顎髭を撫でるヒゲバアの手の甲と顔に刻まれた皺の深さがいつもより色濃く見える。珍しくぼうっと立ちつくした後で「あらやだ、冷めちゃうわね」なんつって、慌てて部屋を出ていく。いただきますと手を合わせ、箸置きから箸をつまみ上げ、目の前の焼きビーフンと向き合う。許可されている速度でゆっくりと、許可されている以上のゆっくりさで、少量ずつ、よく噛んで、噛みしめるように、いや実際噛みしめてはいるんだけれど、階段を一段一段慎重に進むがごとく、胃の残り容量を毎度確認するかのような感覚で、空腹を満たす。焼きビーフンは口の中でもそもそと膨れあがった後で徐々に縮小し、小分けになって喉から胃へと送り込まれていく。エーイチは幼い頃に歯が生えかわって以来ずっと歯について苦労したことはなくて、それが珍しいことなのかどうかわからないが、ありがたいことだなあということを、もそもそと噛みしめながら思う。虫歯になる前に歯を磨く。病気になる前に体をケアする。汚れる前に掃除をする。決まりきった毎日をこなす。こんなによく噛んでいるのにときどき喉が詰まりそうになる。水道水で流し込む。
 箸を置き、ごちそうさまと手を合わせ、椅子に背をもたれて食後のテーブルをぼうっと眺める。空の食器と汚れた箸は微動だにせず、窓の外の赤い空を飛行機が飛んでいき、飛行音がかすかに部屋の中へと届く。
 立ち上がり、本棚の背表紙を眺めるが、視線がただただタイトルの文字列を上滑りして気分になれず、少し考えて、百年日記を、まだ書くような時間ではないのでただそれを読むためだけに抜き出して、落とさないように慎重に持って、ソファにどっかりと座る。膝の上で開く。三六六の見開きを順にめくる。中身を熟読することはせずにぼんやりとページをめくっていく。ひとつひとつの見開きは、なかなか黒いものもあれば意外なほど白いものもある。それぞれどれだけ黒く埋まっているか、その印象だけが重みとしてエーイチに実感される。重たい冊子の角が下腹に突き刺さって痛い。ソファに転がしていたクッションを間に挟む。数え切れないほど繰り返された一月から十二月までを、エーイチはくぐり抜け直す。いや、数え切れないというのは嘘だ。数える気がないのだ。興味も意欲も意味も。
 ごっ、と鈍い音が部屋の外の遠くに聞こえて、塊のような百年日記を膝に抱いて座って何もしていなかったエーイチは我に返る。ごっ、と確かに聞こえた気がするし、けれどそれは窓の外から絶え間なく入ってくる騒音の中でそんなに際立ちはしなかったので、気のせいかとも思ったけれど、それでも窓から反対側のドアの方から聞こえた気がするし、気がする気がする、気がするばっかりであることに気が倦んで、エーイチは膝の上の塊とクッションを脇によっこらしょと放り出して勢いよく立ち上がる。騒音が少しでも遮断できるようにと赤い窓をからからと閉めると部屋の空気がちょっとだけ止まる。テーブルの上の食べ終わった焼きビーフンの皿は下げられないままで、こびりついたものが見るからに乾いている。
 ドアを見る。ドアを開けることは許可されて、許可され、許可、許可されていただろうか、許可されていなかっただろうか。忘れてしまったのか、はじめからそこには許可の有無自体がなかったのか、まるでわからないという事態にエーイチは直面する。静止した空気の中、水中を歩くようなスピードでエーイチはドアへと向かい、真っ直ぐに立ち止まり、ドアノブへそっと手をかける。
 鍵はかかっていない。そもそも取り付けられてもいない。かちゃりとあっけなく開いて、薄暗い廊下が伸びるのを見る。初めて見るのに懐かしいような夢の中に放り出されたような感覚になる。迷うことなく進む。廊下の幅が体にしみこんでいる。
 右手に畳敷きの六畳間があり、隅っこに几帳面に畳まれた布団と小さな箪笥が置かれ、脚を畳んだ卓袱台が立てかけられている。廊下を挟んで反対側の左手には台所と風呂場、台所の冷蔵庫が開いていて、中がほとんど空っぽなのが見える。その下、クッションフロアの上に、割れた湯呑みとこぼれた茶と、不自然な姿勢でうつ伏せにうずくまるヒゲバアの姿がある。
 エーイチは廊下を進む。玄関があるのをエーイチは知っている。ドアを開けることなく、一足だけある父の革靴を引っつかんで廊下を引き返し、部屋の中へ戻る。黒と灰色ばかりのクローゼットから、厚手の長袖シャツと長ズボンとベルト、靴下を取り出して着替える。ジャケットを羽織る。革靴をはき、靴紐をしっかりと結んでから、窓を開けてバルコニーに出る。
 急激に血がめぐる感じがする。とりわけ脳には経験したことのないほど大量の血液が流入している感じがする。息を大きく吸い込んで、大きく吐き出して、止めて、ちょっと吸って、バルコニーの手すりを乗り越える。すべての血液が一度どこかへいってしまって、そして再び、一気に、激しい圧を伴って流れ始める。目の前の赤が体の中に流れ込む。決死の思いで飛び降りる。革靴はすぐにやさしい土を踏む。

〈了〉

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