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『仮面ライダーオーズ/OOO』感想 キャラクターとストーリーとアクションのコンボ

『ウルトラマン』『ガンダム』『プリキュア』……そして『仮面ライダー』等、長く続くシリーズ物には、「初心者はどれから見るべきか」論争がある。
ある種の”正解”として、最初の作品から見るか、現行の最新作を見るかという二択があるが、それはそれとしてまとめて見るならどれがいいのか。
予備知識が無くても楽しめ、昔すぎてとっつきづらいということもなく、見終わると他作品にも興味が出てくるような……そんな布教に適した作品はどれかという極めて高度な判断が求められる。(そして往々にして自分の好きな作品を推す)

「仮面ライダーって子供のころ見てたけど、また見てみようかと思うんだよね」
あなたの友人知人がこう言ってきたら、なんと答えるだろう。
やはり『クウガ』? 手堅く『ダブル』か。『ドライブ』もいいぞ。『BLACK』は古い?etc…

そんな中で、僕は『仮面ライダーオーズ/OOO』を挙げてみたい。
およそ10年ぶりに見て、『オーズ』は幅広い層にオススメしやすい作品なのではないか、と思ったので、同作の魅力をまとめてみる。

ひとつ、独特なバディが生み出すエモーショナルなストーリー

2人のコンビが1人のライダーへ変身する前作『仮面ライダーW』のヒットを受けてだろう。『オーズ』もまた主人公・火野映司と、怪人の一味であるアンクが組んで戦う。
だが、『ダブル』が友情で結ばれたバディだったのに対して、『オーズ』の映司とアンクは両者の思惑が一致してお互いを利用しあっている特殊な関係だ。お互い相手の弱みを握っているから主張を譲らず、といって相手の協力は不可欠なので離れることもできない。そんな共犯関係のような緊張感の中で、距離を縮めたり利用する/される関係を思い出したり、馴れ合わないけど無二の相手という絶妙な距離感。
4クールという長尺を活かした2人の関係の変化は、間違いなく『オーズ』の見どころの一つだ。

ライダーや戦隊などの1年という放送期間は視聴者に強い視聴体験を残すが、『オーズ』ではその時間経過による変化がキャラクターの魅力に繋がっている。
一般的にモモタロスのような口の悪いキャラクターは男児ウケがいいが、アンクは”実は気のいいヤンキー”ではなく、言動が一貫し、周囲の状況や人間を利用して立ち回る極めてクレバーなキャラクターである。
自身の欲望を満たすため積極的に行動を起こしてストーリーを引っ張るアンクに対し、映司はブレーキ役に回る。
ヒーローといえば「自らの命も顧みずに戦う」ような滅私奉公的な姿勢が是とされることが多いが、映司の自己犠牲的な態度は異常者として描かれる。しかし、その異常な前提をロジカルに主張することで、アンクとの主導権の握りあいが展開される。
この2人の駆け引きが各エピソードのうねりを生み、一見すると危ういバランスでも、番組としてはあくまでカラッとした作風を維持。ギスギスした重苦しさがほとんど無いため、見ているとこの2人の関係を好きになるのだ。

ふたつ、玩具ギミックとストーリーを連動させた”欲望の肯定”というテーマ

平成二期ライダーから、小型のコレクションアイテムとベルトや武器を組み合わせることで変身・必殺技遊びをするシステムが定番になった。『オーズ』ではメダル型のアイテムを使用する。
小さなオモチャをガチャガチャといじるヒーローというのは、ともすれば滑稽に見えかねない。そこを違和感なく見せるために様々な工夫をこらした演出は、ヒーロー番組の醍醐味といえる。

オーズは3枚のメダルを組み合わせることで変身する。同時にこのメダルは怪人の体を構成する素材になるため、両者にメダルを集める動機が発生する。
双方の戦う目的が衝突するため、自然な流れで戦闘が展開していく。このメダル争奪戦によって、勝利→メダル獲得→パワーアップ(新商品の登場)が連動。逆にメダルを奪われる展開も挟むことで、パワーバランスが崩れるようなインフレを抑制。玩具から派生した設定によってストーリー展開をある程度規定することで、劇中でのオモチャ感を低減させている。
体を構成するセルメダルと、精神を構成するコアメダルという性質の異なる二種類のメダルも、理にかなった設定のため納得しやすい。これによってオーズとバースという2人のライダーがかぶることなく、自然と住み分けられる。
劇中での玩具の活かし方は、『オーズ』は平成ライダーでもトップクラスだ。この点、平成二期の後半は玩具ギミックの高度化・ヒーローデザインの先鋭化によってハイコンテクストになっているため、実は初見殺しのように思う。具体的に言うなら、『オーズ』では「歌は気にするな」と言うだけマシで、戦闘を医療行為と言い張ったり、ハイテンションな「イェーイ!」が流れたら、普通は困惑すると思うのだ。

さて、メダルを奪い合い、より多くのメダルを集めようとする玩具上のシステムから展開させ、『オーズ』では欲望の肯定という、ヒーロー番組では異例のテーマがある。

先にも挙げたように、やはりヒーロー番組では滅私奉公的な態度が礼賛されがちだ。まあ、当然といえば当然で、世界を守るために戦って傷つくのだから、個人の幸福はどうしたって後回しにされてしまう。
そんなヒーロー物の構造を逆手に取り、『オーズ』では主人公・映司を欲望の無いある種の異常者として設定する。自分の身よりも他人の幸福を優先させるような性格のため、平気で戦えてしまう。
その根底には彼が体験した過去の出来事が関わっており、『オーズ』は失った人間性=欲望を取り戻していく話として展開していく。
同時に、相棒である怪人アンクも、怪人であるがゆえに手に入れられない感覚――人間性を追い求め、周囲の人々とのかかわり合いの中でそれを獲得していく。
反面、争いを起こすのも欲望である。各回のゲストキャラクターは、それぞれが抱える欲望によって怪人を生んでしまい、戦いが起こる。大状況の中で翻弄される個人がテーマの平成一期はディケイドで頂点に達し、平成二期では人の心の闇が怪人を生むような、ミクロの物語が大局につながる展開が基本になった。このフォーマットは、『ダブル』を経て『オーズ』で完成した印象だ。
欲望の肯定という異様なテーマをかかげながら、実にヒロイックなストーリーを見せるのも、『オーズ』の魅力だろう。

そしてみっつ、バラエティ豊かな能力が魅せる楽しいアクション

ヒーロー番組と特撮は切っても切り離せない関係で、常に最新の映像技術を取り入れてきた。
今でこそCGのモンスターと実写のキャラクターが並ぶ姿は当たり前だが、初期のころ、例えば『龍騎』ではモンスターのデザインをアニメ調にすることで質感の違和感を軽減させていた。それが『響鬼』になるとかなりリアル寄りのデザインで成立させており、わずか数年でCG技術が大きく進んだことを感じさせる。(違和感が無いとは言わないが)

『オーズ』でのCG処理の面白さは、攻撃エフェクトや爆炎だけでなく、能力の発現にもあるだろう。
オーズは各フォームに応じた特性を持ち、分身したり、重力を操ったり、体が水になったりと様々だ。フォームによっては、それらの能力が発動するとき、オーズの体が人体の形状を大きく逸脱した、ある意味クリーチャーのような姿に変化することさえある。トランスフォーマーじゃあるまいし、足が8本になるヒーローなどかなり珍しい。しかもキワモノ枠ではなくれっきとした主役でだ。
能力や形状の変化をCGで派手に見せることで、視覚的にわかりやすく、アクションを楽しめるのが『オーズ』の特徴だろう。

また、もうひとつ『オーズ』のユニークな点として、ダメージ時のメダルによる血しぶきがある。
怪人が攻撃を受けるとメダルが吹き飛び、肉片や血を飛ばすような残酷描写を取ること無くダメージを見せる。攻撃のたびにメダルがジャラジャラと手に入る様子は、見ていて快感ですらある。「儲かってますねー!」と思わずにはいられない。
だが、大ダメージを受けて体を維持できなくなり、メダルをチャリンチャリンとこぼしながらよろよろ歩く怪人の姿は、とても痛々しく感じる。
怪人の体がメダルで構成されているという設定を生かした非常にウマい表現で、他に類を見ない。直接的な表現が無いのにエグさを感じる、非常にユニークな面白さだ。

Count the medals! 現在、オーズを見た感想は…

当時見たきりだったので、およそ10年ぶりに見返したことになる。
『オーズ』は多くの点でユニークな作品で、非常に面白い。軽いコメディからハードなシリアス展開まで幅広く、しかし全編通してカラッと明るい。
ここ数年のライダーに慣れた目から見ると、比較的シンプルなデザインなので体の動きが伝わりやすく、映司らしいコミカルな動きや、アンクと衝突する時の感情の高ぶりなど、細かな演技も堪能できる。

『オーズ』は10年経っても新商品が続々登場し、映画でもたびたび再登場するような根強い人気を誇っている。
美しいラストで、メダルのように丸くおさまったのだからこれでいいと思う反面、あのラストの続きが気になる欲もあり、そういった余韻をすくい上げる形で、映画などで何度か”その後”が描かれたこともある。いずれも感動的な形になっており、いつまでも楽しめる。『オーズ』の魅力は、そういったところだろう。

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