#126 読書日記18 若者たちの居場所はどこにある
『私の居場所が見つからない』川代 紗生
■ジェンダーの呪い
一昨年、四年制とは別に女子短大の「キャリデザイン」の授業も担当していた。
もともと商業高校で教師をしていたので女子だけというのは慣れっこだ。
それはそれで、なかなかアレなのだが・・・・(アレってどれだ?)
高校教師時代のクラス会で教え子たちと話していても、彼女たちは大小さまざまな差別と向き合い、悩み苦しみ、時として真っ向勝負しながら生き抜いてきたのだと感じる。
ビジネスのことだけでなく、家事、育児など家庭内の役割分担においても、「女性らしさ」「女性だから」「女子力」の押し付けがモンスターのように襲いかかってくるわけである。
教え子のA子は一部上場の企業に就職し職場結婚し、さぞかし幸せな人生を送っているのだろうと思っていが、離婚し二人の子どもを抱えて生きてきた。
シングルマザーとして社会復帰しようとした時、採用から待遇(給与、労働時間、休暇)に至るまで苦労に苦労を重ねながらも、今はそれなりに幸せな人生を過ごしているという話を聞いて涙した。
帰宅してからの家事が大変なので、2人の娘には
「女の子なんだから食事、掃除・洗濯はやって当たり前、手伝ってちょうだい!」
と叱ったりお願いしたり。
彼女自身、これをジェンダーの呪いと呼んでいた。
離婚の原因が夫の家事・育児に対する無理解だったという。
■居場所はどこにある?
現代に生きる女性のキャリアについて考える短大の授業は、どういう切り口がいいのだろうと考え、短大と四年制の女子にインタビューした。
「女性としてどんな話が聞きたい?何を知りたい?」
聞いてみるもんだ。
いろいろな闇を語る学生から
川代紗生という名前が出てきた。
WEB天狼院書店のブログ「川代ノート」で注目され女性たちに支持されている。
ジェンダーフリーの時代と言いながらも、固定的な性別による役割分担は依然として身近なところに横たわっている。
性差の問題を除いたとしても、若者達の心の中は得体の知れない脅迫観念であふれている。
SNSで飾った自分を表現することに明け暮れ、そのプレッシャーから病んでしまう若者。
川代氏の言う
「私たちはいつになったら石原さとみになれるのか問題」
それが北川景子でも綾瀬はるかでも橋本環奈でも新垣結衣でもいいわけだが、芸能人みたいになれないとしても、自分という素材をできるだけ魅力的に見せたいという心理は理解できる。
私の場合だと
「ボクはいつになったら佐藤 健なれるのか問題」だ。
いや、私はもう還暦を超えているのだから見た目はどうでもいい。
しかし、誰にでも何かしらの承認欲求はある。
存在を受け入れて認めてくれるこころの居場所と言ってもいいだろう。
居場所は大事だなと思う。
「自分の居場所がない。どこにあるの?」と漂流する若者は多い。
SNSでも現実でも「いいね」の承認欲求を満たそうとして無理をする。
仲間内で楽しそうにしていても微妙な距離感の取り方に心が疲れていく。
コロナ禍をきっかけに新宿の歌舞伎町で “ トー横キッズ ” たちが居場所を求めにやってくるということが話題になった。
東京都と警察が連携して一斉補導も行われた。
SNSを使って10代のメンヘラ(心・感情が不安定)の女の子たちを言葉巧みに歌舞伎町のTOHOビル周辺に呼び集めていた男がいたのが事の始まりだという。
SNSは若者たちを惹きつける仮想空間である同時に、リアル空間へ誘引し犯罪へ巻き込む温床にもなっている。
「居場所」が必要なのは間違いない。
少年少女たちは居場所を求めて漂流し、違法薬物、合法薬物の過剰摂取(OD)、闇バイトや強盗に手を染め、少女たちは身を売る。
安心安全が保証されている居場所なら賛同できるが、若者たちにとって敷居が高いと感じる要素があれば、それは居場所にはなり得ない。
居場所のアイディアは次々と出てくるが、「どんな人を対象にして、どういうタイミングでどうつなげるか」といったマッチングの作業が重要になる。
支援団体から講演依頼を受け、「パン粉要員の必要性」というタイトルで講演したことがある。
“ つなぎ ” 役、調整役となる人がいなければいけない。
貴重な資源となるヒト、カネ、モノ、コトをどう結びつけるか。
私も一時期、20代~30代のひきこもりの居場所づくりのお手伝いをしていたが、なかなか大変だった。
本来の仕事の片手間にできるものではない。
今は、できる時にできることをお手伝いするようセーブしている。
短大の学生が書いた忘れられない一文がある。
私は宿題を与えられた感じになったが、何となくモヤっとした解説をして彼女たちを社会へ送り出した。