見出し画像

#37 品性ある思考回路

教職課程の講義で、教師が直面する生徒指導や部活動指導に関する諸問題について取り上げることがよくある。

自己の経験的な話も大切だが、経験だけで語るとバイアスがかかっている可能性があるので、心理学的アプローチを忘れてはならないと考えている。

学生達が学ぶ「教育心理学」や「認知行動理論」が役立つことがある。

「肉体」は訓練によってコントロールできるようになる。

「思考」もまた訓練によってコントロールできるようになる。

ところが、思考から生み出される「感情」は、時としてコントロールが難しくなる。

良くも悪くも感情は他者へ伝染する特性を持っている。

喜びや嬉しさの感情は、お裾分けできる。

しかし、怒りや憎しみの感情は、人に不快感を与える可能性が高い。

お裾分けされた人は、いい迷惑である。

ウェブに公開されている意見には、思わずほっこりするものもあれば、嫌な感じを受けるものもある。

読者に対して「楽しい気持ち」「嬉しい気持ち」「新鮮な驚き」「新たな気付き」を与えてくれるものは、楽しい感情になり、セロトニン(幸せホルモン)が分泌され、心身に好影響をもたらす。

逆に、「つらい気持ち」「不愉快な気持ち」は読んでいて嫌な気持ちになる。

救いようのない話を聞いたり読んだりすると気持ちが沈み込む。

つらい気持ちや不愉快な気持ちのお裾分けに遭遇すると、気持ちが沈み込む。

前向きに転換する仕掛けのない不満や不愉快な感情というものに感染すると、心が救われない状態に陥る。

どんな時も楽しくしていようと努めている人と一緒にいると、こちらも影響されて楽しく物事を考えるようになる。

嬉しいとか楽しいとか、不満とか辛いといった感情は、単発で発生するものではない。

その人の思考回路が感情を出力している。

電気回路の場合だと、ショート回路(短絡した状態)は、過熱したり、電力の消耗が激しくなり事故・災害が発生することがある。

回路を短絡化しているので、瞬間的に大きな電流が流れて回路・装置を損失してしまう。

人間の思考回路もそうなるのではないかと勝手に電気回路になぞらえて考えてみた。

通常は、電流・電圧を安定化させるために、途中にコンデンサーや抵抗器(人間の場合だと、理性とか知識、経験など)を介すのに、それがカットされていると、いきなり怒りや不満をぶつけることになる。

怒りっぽい人、愚痴の多い人を観察してみると、怒りや不満を出しやすい思考回路になっているんだろうなと感じる。

常に悲しく辛い感情で満たされている人は、悲しいとか、辛いという感情を簡単に出力する思考回路を持っているのだろう。

つまり、正規の手順を踏む回路を経ず、短絡(ショートカット)されている状態ということだ。

「セロトニン欠乏脳」というのは、そういうことなのではないだろうか。

逆に、苦境においても楽しく行動できる人は、楽しいという感情を強く出力する思考回路を持っている。

冒頭で「思考は訓練でコントロールできる」と表現したが、負の感情は、物事をネガティブに考えるように思考回路がカスタマイズされてしまっているのだろう。

感情は、外界からの刺激に対応して出てくるように見える。

酷いことをされた→「悲しい」「腹が立つ」「憎い」
儲かった→「嬉しい」「楽しい」
大切な人(モノ)をなくした→「悲しい」「辛い」

外界からの刺激は感情が表れるきっかけに過ぎない。

感情はその人の持つ思考回路でつくられる。

「あるもの」が「なくなった」ということが人を悲しくさせるのは、第一に「なくしたものがその人にとって大切だったから」で、悲しみという感情は「なくなったこと」をきっかけとして湧いてくる。

悲しみが表すのは「それがいかにその人にとって大切なものであったか」で、自己の思考回路の結論を表示している。

感情は思考回路によって出力されるので、各個人の思考回路によって特有のパターンが現れる。

「悲しい、悲しい」「つらい、つらい」ばかり思っていると、そういうことを出力しやすい思考回路が形成され、負の感情に支配される。

私自身、生徒に寄り添う教師として、教師を励ます管理職として、どんな感情に対しても支援する心づもりを持ってきた。

そして、私の感情は私自身に責任があると思っている。

「あいつが俺をムカつかせたから殴ってやった」というのは、自己の感情を自分のものとは思っていない、もしくは、そこから目をそらそうとしているだけだ。

「ムカつく」のは「ムカつく」自分自身に問題がある。

逆に、物事をいつも楽しくやれる人は、そのように考える強固な思考回路を何らかの方法で手に入れたのだろう。

当然、悲しみや憎しみの感情だって湧き起こることはあるに違いない。

ポジティブな感情は、その人を取り巻く環境が常に恵まれているからではなくて、幸せとか楽しいといった感情を出力するように意識的か無意識に工夫しているということだ。

つまり、感情はその人の思考回路次第ということだ。

相手をけなす心情は、やりきれない思いになる。

「俺は、オマエら凡人とは感性が違うんだよ」とか、頭の回転の速さをアピールしたくて、他者を蔑み、けなす人がいる。

その心持ちが嫌だ。

いろんな思いはあるにせよ、できれば前向きな意見を述べられるようになりたい。

誰しも好きとか嫌いはある。
それは否定しない。

しかし、好き嫌いだけで語っていると、その人の思考回路が個人的感情に呪われて、悪霊がそう言わせているんじゃないかと思うほど、口元が歪み、表情も歪む。

例えば会議でも、批判、反対意見でまくしたてて、鬼の首を取ったような物言いをする人がいると、嫌な気分になる。

鏡の法則で「嫌な自分」の姿を見ているのかもしれない。

だから解決の代案や救いのない話は控えたいと自戒している。

批判するにしても評論するにしても、冷静で建設的、生産的で品性のある意見を示したい。

批判とは、よりよりよい未来を創造する前段階の作業だが、そこには品性が必要だ。

自己の属性とは異なる人や思考回路が異なる人と、分かり合えなさをどう埋め合わせていけばよいのだろう。

心ある言葉、品性ある言葉を紡ぐために思考の訓練をしなければいけない。