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#34 プロフェッショナル 仕事の流儀

年明けは、大学入学共通テストの監督業務から始まり、一般入試、採点業務、推薦面接があり、合間に研究会や高校生の探究学習の審査など複数業務が錯綜し、心身共に疲れた。

とりあえず講義がない分、3月は休養できるかなと思っていた。

しかし、ワーカーホリック(仕事中毒)なのか、何かやっていないと不安になる。

泳いでいないと酸素を取り込めないマグロと一緒だ。

「働かない改革」はどこへいったんだ?

いや、働き方改革だったかな。

そうだ、つべこべ言わず、今のうちに新年度の講義の準備をしておこう。

実際やり始めると、「これじゃあ、つまらない授業展開だな」と自己嫌悪する毎日。

そうこうしているうちに、引っ越しの作業が入ってきた。

研究室とは別に、教員養成専用の指導室があって、別館へ引っ越すことになった。

備品や消耗品類を片付けたり、古紙回収へ出す書籍類の整理をし始めたところである。

先輩諸氏はすでに退職しているので、もはや私の独断で、綺麗さっぱり処分して構わないというお墨付きをもらった。

私は非情に徹して、バンバン捨てる “ 片付けのプロフェッショナル ” だ。

徹底的に方を付けようじゃないか。

「どれどれ・・・・」と、10年、20年前の古い書籍や専門雑誌を手に取ってパラパラとめくる。

「おっ!こりゃ面白いことが書かれている!捨てるわけにはいかないな・・・・」

結局、「断捨離あるある」の底なし沼にハマった。

先人が築き上げた数々の価値を消却するのは学術研究の面から考えて断固反対である。

私は冷静沈着が服を着て歩いているタイプだ。
判断に間違いはない。

しかし、部屋と本棚のスペースは物理的に限られている。
心を鬼にして片付けなければ。

いや、私は鬼ではなく「神」だ。
学生達の間では「失敗の神」「挫折のレジェンド」と崇められているほどだ。

伝説から神話になった男である。

不用意に大切なものを処分して責任を問われることがあったらどうすればいいんだ?

私は哲学的な最適解を導き出した。

こう言えばいい。
「だって、理事長も学長も、捨てていいって言ったんだもん!」