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#79 落とし前のつけかた

よく高校から講演の依頼を受けることがある。

事前に講演の趣旨を理解しつつも、話す内容は出たとこ勝負なことが多い。

いつも話は、我田引水、右往左往、紆余曲折、支離滅裂、七転八倒、悪戦苦闘、波瀾万丈、大言壮語、意気消沈‥‥

警戒心を解くために、ステージから降りて生徒にマイクを向け、他愛のない会話のキャッチボールをする。

いくつかのキーワードを寄せ集め、それを手がかりにして、元々の「主題」に沿いながら、生徒と私の “ 共作 ” とも言える「副題」をくっつける。

いろんなレベルの高校がある。
程度の差こそあれ抱える悩みや不安はみんな一緒。

「私は◯◯と思いますが、先生はどうお考えでしょうか。ご意見をお伺いしたいです」

「高校生はオトナだな」と、コドモみたいな私は思う。

「いや私の考えより君たちのほうがしっかりしてるよ!
もう今日の結論が出たね(笑) それでは皆さん、これで私の話は終わりまーす!」
‥‥と言いたくなることもある

探究学習が浸透しているからだろうか、生徒の問いの立て方や、思いつくキーワードがキラキラと輝いている。

流行の「ちいかわ構文」が出てくるわけでもなく、実に落ち着いている。

私はどんなお題になっても、筋の悪い話にならないよう最後の落としどころは決めている。

ここ1年くらいは、次のような形に収束するようにしている。

「過去・現在・未来」
「生き方、あり方」
「心は聞いた言葉でつくられる」
「未来は話した言葉でつくられる」
「あなたの未来はあなたの言葉でつくられる」

高校生への迫り方は心得ているつもりだけど、内心では「はたしてZ世代の子たちにジジイの話しは通じるのか?」という不安は常にある。

世代を超えて互いの心の寄せどころを探りながら話したい。

世代は関係ないのかもしれない。

聞き手にあれこれ余計なことを考えさせないよう文節を短くしている。

文脈を複雑にせず、リズムと聴きやすさを意識したりもしている。

「あのぉー」「えーっとぉー」「そのぉー」「うー」「あー」といった口癖の連発は耳障りなノイズになる。

だから、口癖は徹底的に排除する。
言いたくなったときは声をミュートして心の中でつぶやいている。

ノイズがないと聞き手の集中力が高まり、大した話でなくても言葉が刻み込まれていく。

自分が聞き手に回ったとき、そう感じる。

尊敬する先輩を思い出す。
同じことを話しているのに、先輩の言葉はどうして心に染みわたるのだろう。

話し手の中にある抽象概念を平易に言語化し、具体化された言語は聞き手の中に抽象概念として刻まれてゆく。

物語性や意外性、面白さが必要なのだろうか。

生き様、人生の重みが違うのだろうか。

いつも起承転結の「結」で苦しむ。
どうオチをつけようか。

私は何か話すたびに、自分の人生に「落とし前」をつけているような感覚になる。

昨日や今日の「ダメな自分」に方(片)をつける毎日である。

月末、また高校生の前で、自分のおっちょこちょいな人生に落とし前をつける機会がある。