見出し画像

#60 キャリア迷子にならないために

職業観をどう構築していくか

教職課程の授業で「キャリアデザイン」をテーマにした。

学生たちに、職業や仕事というものに対してどんなイメージを持っているかインタビューしてみたら、最も多かったのは「人間関係がしんどそう」だった。

おお、わかってるじゃないか!
長年にわたって、離職・転職する理由のベスト3に入っている「人間関係」

世の中の問題の多くは「関係性」にまつわることだ。

教師は「ブラック労働」と言われて久しいが、教師を志している学生たちは、そこに大きな不安を感じている。

バイトやインターンシップをはじめ、教育実習等で仕事のイメージはあるものの、それはあくまでも断片化されたほんの一部でしかない。

いざ社会へ出てから経験する人間関係は複雑で奥が深いと感じることだろう。

教師になって1年未満の退職率が高まっている。
「病休」とはいえ、現実には心疾患が多い。

民間も含めて、新規学卒者の3年以内離職率は、2021年のデータを見ると、高卒で59.7%、短大卒で41.5%、大卒で32.5%となっている。
平成時代に入ってから横ばい状態が続いている。

厚生労働省統計

楽しいこと、嬉しいこともあれば、きついこと、辛いこともあるのが仕事だ。それで対価をもらっているのが仕事だ。

「この仕事を明日までに片付けてほしい」
「そんな仕事じゃ一人前とは言えないぞ」
「これが教師という仕事の醍醐味だ」
「仕事はストレスがたまって大変だ」
「しょうがなく仕事をしている感じだ」
「食うためには、我慢して頑張るしかない」

いろいろな場面で耳にする言葉だ。

こうした意味的な広がりを持つのが仕事であり、そこに仕事をやる動機や、かかる時間、注ぐ心身のエネルギーが必要になる。

「仕事」をキーワードにして、いろいろな文献にあたってみると、思いの外、いろいろな分類の仕方がある。

work(幅広くやる仕事)
task(任務)
job(業務)
labor(骨の折れる仕事)
profession(専門的職業)
occupation(生業・稼業)

いずれにしても、仕事に取り組む中で、それを労役とを感じるか、使命と感じるか、可能性への挑戦と感じるか、心の持ち方次第であり、場面場面で異なってくる。

仕事を「作業」として単調に繰り返す生き方」は「労役」と感じるだろう。

「稼業」として捉えれば、もっと割のいい仕事はないかと考えることもあるだろう。

あるいは、仕事を「使命」と感じていると、意識はかなり高次のレベルに向かっていくはずだ。

ひとつのことをやり遂げると、そこに何らかの価値が生み出されたと感じるものだ。

教師の仕事は、児童・生徒たちに「認知能力(知識・技術)」と「非認知能力(見えない力)」を身に付けさせることだ。

そのために、仕事の労を増減させたり、仕事の内容・方法を工夫したり、変形・変質させたり、新たなやり方を生み出す力が求められる。

それは別に、教師の仕事に限ったことではなく、どんな職種にも言えることだ。

「世界は誰かの仕事でできている」とは缶コーヒーのCMだったか。
どんな仕事も誰かの役に立っている。
仕事は尊いのである。

私たちは、いろいろな思いを抱きながら日々仕事に取り組んでいる。

人には、得手・不得手があるから、楽にできることもあれば苦戦することだってある。

不得意なことは協働(チーム)でカバーし合いながらやっていくことになる。
変なチームもあるけれど・・・・・

そうなると、日頃からのコミュニケーションをベースにした人間関係構築力がものをいう。

学生がボーっとしていたので、「自分ごととして捉えるんだぞ!」とたたみかけるように語った。

仕事をやった後に、「何を感じるか」「気付きはあるか」「何を生み出したか」という振り返りも必要だ。

仕事をどう捉えるかで、それがあなたの存在意義となる。

そんな話をしたら、学生たちは余計に不安になったようだ。
「私には、あれも足りない、これも足りない。本当に教師としてやっていけるのだろうか・・・・・」と。

もちろん、流れとしての仕事があり、ルーティン化されたものを淡々とこなすべき日常業務もある。

一方では、児童生徒の変化を見ながら、試行錯誤しながら取り組む創造的な取り組みもある。

多くの場合、自分一人で完結するものではなく、組織の中にある無数の仕事と並行して粘り強くこなしていかなければならない。

人は多忙になると、仕事の全体像を忘れ、目の前の仕事の意義や目的もわからなくなり、「なぜ自分だけがこんな思いをするんだ」と考えてしまう。

仕事は連鎖するものであり、ひとつひとつに意味がある。

特に、感情を持った生身の生徒を相手にする教師の仕事はストレスが大きいので、雑事に追われると、教師自身が疲弊し崩壊してしまう。

この数年、コロナ禍の影響も語られているが、心身の疲弊を理由に教師を辞める人が増えているのは問題だ。

仕事の厳しさは、教師だけにつきまとう問題ではない。

これまでの約30年間、文科省の推進に背中を押されて取り組んできたキャリア教育も転換点を迎えている。

文科省が推奨する“政策的キャリア教育”は、「正しい職業観・勤労観」の名の下に、ちゃんと勉強すれば、ちゃんとした仕事に就けるという、いわば教義のように語られてきた。

勉強は正しい方法で努力すれば成果が現れる。
そこに異論はない。

勉強は努力と相関する。

しかし、就活を経験した学生は別な世界があることを知る。
就活は「教科型の勉強」や「受験対応型努力」と相関しないということを。

社会には、学校型学力(認知能力)とは別な査定があるということだ。

「非認知能力」の重要性をやっと中央教育審議会や文科省が唱え出したわけだ。

教師を目指す学生たちが、「職業観」「使命感」を今一度自分なりに深掘りすることを願っている。
夏季休業、折り返し地点かな。

この暑い中、学生たちは私から与えられた宿題「自分との対話」をしているのだろうか。