#20 未来の自分を助ける力
「生きる力」は、2008年に文部科学省が小・中学校の学習指導要領を改訂した際に掲げた理念で、既に動き出している新しい学習指導要領にも継承されている。
ひとりの人間としての資質や能力を「知・徳・体のバランスのとれた力」と定義している。
◆言葉合わせはジグソーパズル
そもそも、自分にそんな力があるのだろうか?と考え込んでしまうが、抽象的な概念なだけに、解釈は一意ではなく千差万別だ。
学生達に語らせたら、実にバラエティーに富んでいた。
じゃあ、君が教師になったら、生徒に何をどう伝える?
君にとっての生きる力とは何だ?
自分らしく生きること
折れない心
くじけない心
たくましく生きること
健康であること
困難を乗り越える力
変化に対応できる柔軟さ
生命力
忍耐力・・・・・・
中には「生」に対する対義語として「死」の概念を引き合いにして、「自ら死を選ぶような心に陥らないこと」といった発言もあった。
単語をボードに書き出すと、1ワードだけで60分、90分討論できそうだ。
もしかすると、私にとっての「生きる力」は、あなたにとっては小さなことかもしれない。
逆もまた然り。
結局、小さな力が集まって大きな力になっているのが「生きる力」なのだろう。
個々の中に宿る集合体とでもいえばいいのか。
私は自分の持っている力が優れているとは思わないし、標準だとも思っていない。
自分のやることなすこと全てに誰かの力が加わっている。
そう、あなたのお陰なんです。
仏教でいうところの「お陰様」
とりあえず62年間、生き延びてきた。
生き延びる力?・・・・・・
みんな搭載しているエンジンが違う。
F1カーのような凄いエンジンもあれば、足こぎチャリンコ、徒歩など、馬力もスピードも違う。
F1カーだってガソリンが切れたらアウトだ。
◆居場所(サードプレイス)
これまで、高校生や大学生と向き合いながら、いろいろな支援をしてきた。
個々の発達課題や目的・目標の内容と質によって、必要とされる解決方法や求められる力は違う。
今も小中高校生の居場所づくりや支援のお手伝いをする機会がある。
あくまでも本人が「自分の力で解決した」という手応えを持たせたいと考えている。
自立・自律だ。
そのための支援、寄り添いは惜しまない。
多くの事例を扱って感じることは、例えば、困りを抱える当事者が「助けて!」と発信できることも「生きる力」のひとつだということ。
もちろん、依存心や依頼心が勝ってはいけない。
微妙なさじ加減だとは思う。
子どもの心の小さな変化を見逃さないことが必要だと言われている。
子どもの言動がシグナル。
青信号なら、そのまま素直に進め。
「無理!」「助けて!」「ヤバイ!」の黄色信号や赤信号に気付けているだろうか。
現実の「気付き」はそう簡単ではない。
自ら死を選んだ子もいた。
生きることに絶望する前に気付けなかったことを後悔した。
何かできること、伝えられることがあったはずなのに。
安心できる居場所、正直に困りを訴えられる環境、信頼に基づいた関係性の構築は大切だ。
家庭に居場所はあるだろうか、学校や職場に居場所はあるだろうか。
◆風を読む
人生、順風満帆であってほしいと願うが、風はいろんな方向から吹いてくる。
順調に発達を遂げている子だって、人生いつどこで危機に直面するかわからない。
逆風や横風を受けても進めるヨットの操縦技術のようなものを身に付けられたらどんなにいいことか。
自己を俯瞰し課題を認識する力、解決の可能性を見いだす力、可能性を高める力があれば、生きられる。
風を読み進む方向を見定める力。
高校生や大学生には、「飯が食えるオトナになれよ」と言っているけれど、そこにはいろんな意味を込めている。
言い換えれば「生きる力を身に付けようね」ということなのだが、それは、風を読み、心(ヨットの帆)をどう捌くか。
◆路傍の石に目をとめる
いろんな困難を乗り越えてきた人は「強い人」「生きる力がある人」と評価される。
でも、みんな初めから強かったわけじゃない。
程度の差こそあれ、見えないところでいろんな思いを抱きながら生きている。
いろんな人の助けや支えがあって生きている。
社会は、関係性を構築し調整しながら生きていく場所だから、何でも一人だけで成し得ることなどできない。
翻って、いざという時、寄り添ってくれる仲間はいるだろうか。
「自分」ではない「誰か」の存在。
私は、自分が過去に紡いだ物語によって今の自分が救われていると思うことがある。
今は、未来の自分を助けるための何かを身に付けようとしているのかもしれない。
心に寄り添ってくれるのは、“人”とは限らない。
小説やドラマ、映画の中の登場人物であったり、詩の一節や歌であったりもする。
それも結局、誰かが紡ぎ出したものだ。
身の回りの何気ないことが「生きる力」を育んでいるのだろう。
路傍の石に目をとめる。
単なる石ころと思うか、石も磨けば玉となると思うかの違いは大きい。
どんな人との「出会い」も「コト体験」も大切にしたい。
そんなことを学生達と語り合った。