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仕事で使える⁈人気バンド再結成術に学ぶピンチの活かし方 【第一章】バンドとの出会い

 ピンチはチャンス!それができたら大逆転も夢じゃない! 私がこれまでに出会ったピンチをどうやってチャンスに変えたのか、その瞬間をお教えします。
 知っておけばピンチになっても余裕が生まれるはず!

 1980年台後半、日本の音楽シーンを席巻した『バンドブーム』。そのほとんどのバンドが解散しているが、一部のアーティスト達は再結成し活動を再開、しかし残念ながら当時のスケールとは大きく異なった活動になっている場合が多い。
 なぜ彼らは全盛期のような大きな会場でのコンサートや、チャートを賑わせていた新曲のリリースがないのだろう。 もう彼らはあの時のようなハイトーン・シャウトができなくなったのか? メンバーの指がもつれて弾けなくなり、音楽的な質が低下したのか? もしくは、細身のシルエットで観客を魅了していたメンバー全員が醜く太ってしまい、ビジュアルが低下したのだろうか?。
 もし、原因がそのいずれかに当てはまるのであれば簡単だ。ハイトーンが出ないのであればオリジナル・キーにこだわらずに音を下げたアレンジで歌えば良いし、もつれて弾けなければサポートメンバーを入れてカバーすれば良い。太ってしまった身体を絞るためのランニングマシンやその他の設備は駅前のジムが24時間空いている。
 ただ、残念なことにその全てが当てはまらず活動がシュリンクしているバンドは多い。たぶんその理由は『再スタートの方法を見誤ってしまった」からだろう。
 ここでは、とある人気バンドの再結成を成功に導いた私が実際に経験したトラブルとその解決方法を基に、みなさんが生活する上で起こるかもしれないさまざまな局面で使えるピンチの活かし方をお伝えしたいと思う。
 ここで知り得たヒントはみなさんの生活でどう活かせるのかは、あなた次第だ。ピンチに直面した時のあなたはどうたち振る舞っていたのだろう。 このピンチの活かし方を知り、いままでより目線を上げて、先々と目の前を同時に見据えることができれば、大きなトラブルに直面してもそれをチャンスとして活かせる方法を見つけることができるはずである。


私が担当したバンドとの出会い

 1980年台、音響の学校に通っていた私は御茶ノ水の小さな楽器店のオーナーと仲良くなり、その店でアルバイトを始めた。当時はエレキギターの販売がメインだったが、卒業してすぐに店長を任された頃に経営者が失踪。
 数ヶ月後、店は売られ新しい経営者が現れると販売する商品を一新。シンセサイザーやコンピューターを中心に扱うようになり、当時、誕生したばかりのデジタル・シンセサイザーやドラムマシーンなどを学び販売した事で私はロック・ポップスで使うデジタル楽器全般の知識を得ることができた。

 音響の学校を卒業した同級生の中には音楽業界や映像業界に就職した者もいて、そんな仲間から六本木にあるプロダクションが楽器に詳しいスタッフを募集していると教えてもらい応募、無事採用され、その年にデビューするバンドの担当となった。
 上京してきたばかりの彼らは年齢的にも近く、聞いてきた音楽も似ているので話が合った。そしてこれが一番大事だが演奏力が高かった。
 当時、彼らはシンセサイザーやコンピューターなどの知識はそれほど高くなかったが、音楽的に柔軟で、ロックはこうあるべきといった凝り固まった考えを持っていなかったので、私が提案する楽器の使用方法やサンプラーなど、新しい技術や楽器に貪欲で、すぐに吸収し、自身の魅力ある音楽に消化していった。
 私たちが出会うことでそのバンドの機材量は増え、通常のロックバンドが奏でるサウンドとはかなり違った音楽となったが、そうした流れがバンドブームの中で埋もれずに済んだ原因なのかもしれない。いずれにしてもバンドは順調に人気が上がり続け、デビュー2年目には日本武道館を満員にすることができた。
 その頃に私は楽器担当からマネージャーになり、ライブ以外の場面でも彼らと時間を共にすることとなった。
 彼らと一緒に過ごした時間の中で、大きな手応えを感じる成功もあったが、谷底に突き落とされるような大問題も発生した。しかし、その大問題をどう活かせるかが私のキャリアをより強いものにしてくれていたと思う。
次ではわたしがどんなピンチに遭遇し、どうやって切り抜け、モノにしてきたかをお教えしよう。


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