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採算度外視こそ、最高にオモシロい!

今、私は最高に楽しい遊びに取り組んでいる!!お金になるとか、誰かに褒められるとかでもない完全に「採算・度外視な遊び」だ。

いや何なら数字上は赤字。だけど気分上は大黒字である。それも人生史上最高の!

それが子ども達が「先生」となり、授業をする学校「子どもが教える学校」だ。

子ども達にも、保護者の方にも、授業に参加された大人の方にも「ありがとうございます」って言われるのだけど、「いやいやこちらこそ(私の壮大な遊び)につきあっていただきありがとう!」なのだ。


1:いつから「採算」を求めるようになったのだろう

今でこそ、仕事でもない、家庭でもない、第3の遊び場(子ども達の将来にも関わることなので真剣に遊んでいます!)を作ってわ~いとやっている私だが、これは2~3年前の私には考えられないことだった。

自分の行動の判断基準はいつも「誰か」に評価されるかどうか、「仕事として」意味があるかどうかだった。

要は「得するかどうか」

ってか、得って何なのさ?
売上かい?人脈かい?

いやむしろ、むしろ・・・
 
その売上を使って「人生で何を果たしたい」のか?
その人脈とともに「人生で何を成していく」のか?

じゃなかろうかい????

ある日、自分の毎日の生活から「仕事」を引き算してみたら、寝る・食べるしか残らなくて、愕然としたことがあった。

何のために生きてるん、私?

2:始めたのが採算度外視タイム

そこで始めたのが「自分のためだけの採算・度外視な時間」を朝30分取ることだった。目の前の数字や人脈、それらでしか人生の「得」をはかれない私にとって、まずは30分、目の前の30分を「自分のために得となる時間」にすることにした。

それが後に自分の中の創造性と向き合う「アトリエモードの時間」として、私の中で習慣化する。

最初のうちは大好きなインテリア雑誌を眺める事、音楽を聴くこと、過去の人生の美しかった景色を思い出すこと、それらを手帳に書き留める事、そんなことから始めた。

誰かに評価されるから、売り上げや人脈といった目に見える物ではかれるからではない。誰にも見えない、はかれない、曖昧さばかりで何の勝算も見えないけれど、自分の中で確実に心の中にじわっと水分が満たされていくそう、そんな時間を増やしていった。

すると、自分がどんな時に、心が躍るのか、自分の中でやる気が着火して行動が止まらなくなるか、いつもは気にしているまわりの声が急に無音に無風になり、自分の立っている世界がとても安心で、私は何でもできるそんな有用感を感じる時間が増えていった。

そんな折、私が自分を表わすキーワードとして見つけたのが「面白がる」という言葉である。

3:採算度外視な行動がすべて人生の「伏線」へ

そして、朝デスクで30分間、いろんなことに思いを馳せながら、手を動かしながらひとりで「面白がっていた時間」は、少しずつ少しずつ多くの人と共有できる「みんなで採算度外視な時間」へと拡張していった。

例えば既定の子育てに囚われず、子ども育てを通じて感じる「面白がる視点」で世の中を見たら楽しいだろうな~と思って、「子ども育てを面白がる会」を企画した。

▼子ども育てを面白がる会 第1回目の様子

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当時の記事から引用

#子ども育て #面白がる
この2つのキーワードで私の独断と偏見でお誘いした、7人のゲストの方々とご一緒した「子ども育てを面白がる人の会」
先生、大学助教、会社員、医師、編集者、起業家・・・
実にプロフィールは多様で、
だけど、みなさんそれぞれの居場所から
「子どもを面白がって育てる」
そんなプロフェッショナルが集まりました。
飛び交う話題がすごいすごい!!
これはTV番組になるぞぉ、まじで!
教育論・ビジネス論・生物論・マネー論
それぞれの視点から
「子どもを育てる」という文脈を語っていく・・
学校については、教育というサービスの単なる受益者じゃなくて、主体的に
面白おかしく関わっていこうと決意を新たにしたし、まぁ、とにかく企画した私が何よりもみなさんからたくさんのものを受け取った時間となりました。

そんなところから着想を得て、子どもが先生になったらおもしろいだろうな~と思いつき、誰に見せるでもない企画書をニヤニヤしながら作ったりもした。

▼一人でにやにやしながら作った企画書

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その後、1~2年の時間を経て・・今

こうやって採算度外視で自分のやりたいにしたがって動いた結果は、すべて今の「今」につながっていくと感じている。

滝を落ちる大量の水が1点の今という滝つぼに注がれているかごとく。

当時、ビールを交わしながらいいねー!と話していた仲間と、朝のLIVE配信番組を任せられるようになったり。立ち上げた子どもが教える学校に、ご自身のお子さんを任せてくれたり。学校がTVに取材を受けたときは、喜んで参加者のお声として協力してくれたり。裏でこのプロジェクトを広げるために奔走してくださったり、だ。

そして、学校に参加者として参加くださった方が、ひとりふたりと運営側にも回ってくれるようになった。

子どもが教える学校、というプロジェクトは、最初は私のひらめきで始めたのだけれど、そのひらめきのバトンを繋いでくれたのは、私の採算度外視な時間をいいね!面白いじゃん!と喜んでくれた仲間たちの存在だった。

だからこそ、この学校は採算度外視の遊びでありながらも、もう私一人だけのものではなく、喜んでもらえれる人のために、必要としている人のために、届けていかなければという使命感にも燃えている。

当時感覚で動いていたあらゆる出来事が、今のためにすべて必然的に用意されていたのではと思わざるを得ない。すべてはこの学校をやるためだったのか、ともはや感服に近い。

採算度外視で生きれば生きるほど、いろんな「計算」を入れなければ入れないほど、人生の伏線は面白いように数珠つなぎで回収されていくのだと思う。

「計算」で出来る事なんてたかが知れている。特に今は、1か月後の時代の流れも容易には読めない時代だ(というか、いつの時代も本来はそうなのだが)。

だからこそ、小さな計算ではなく、時には大胆に採算度外視で動いていく、従うは自分の動物的な勘とでもいうか、極めて大事なことだと思う。

そうすることがきっと、売上や人脈といった小さなサイズでの採算ではなく、人生全体といったもっと大きな俯瞰視点での採算に、必ずや合致していくんじゃないかなって思う。

子どもが教える学校プロジェクト。

まだ立ち上がったばかりの産声をあげたばかりのプロジェクト、ここらで採算を・・という自分の中の声はひっきりなしに聞こえてくる。だけどさ、まだ採算など考えずに走っていきたいんだよね。

自分の中の内なる熱い思いだけで、どこまで走れるかやってみたいんだよね。そんな姿を子ども達にも見せたいんだよね。

そんな私。

毎月プロジェクトを無料ボランティアで回すだけでは飽き足らず、完全にポケットマネーで「学校ホームページ」も本気で作り始めた私。

採算の見えてることなんてたかだか知れている。

この今打っている一歩が、どこにつながるか分かんないからこそ、人生面白いのだ!こうやって私自身やそのメンバーが、人生を面白がり続ける姿こそ、子ども達に一番感じてもらいたい事なのだ。

人生にはあらかじめ決まった「勝算ルール」なんてない
勝算のとれた人生にするのか、しないのかは自分自身の手の中にあるのだ!


子どもが教える学校 次回は?

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【プロフィール】
 鈴木深雪 東京都日野市在住
 小学2 年生男子を子育て中の働く母。個人HP)https://himotoki.com/
大手印刷会社に 16 年勤務そこでのプレゼンテーション/資料作成スキルを活かし、思考整理サポートや資料作成代行業務で独立。 7 年間の子育てで学んだのは「子どもが大人に最大の学びをくれる存在」であること。いつか子どもが先生の学校をやりたいという夢と、学校休校への子どもたちへの思いが合致し、本プロジェクトを 2020 年 3 月に立上げた。
その他、ライフワークとして、働き方をテーマとした東京都日野市主催セミナーへの登壇や、 NHK 番組「おはよう日本」への出演実績あり



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