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心の奥にある気持ちを、言葉にすること

振り返ってみて、「その日」が人生のターニングポイントだったと思う日がある。

ぼくにとって、2012年7月のあの日は、そんな日だ。正確な日付は覚えていない。

当時、ぼくは築地のセリ人で、深夜1時から昼すぎまで、全国で水揚げされた魚を仕入れて、築地の仲買さんたちに販売するという仕事をしていた。長靴をはいて、作業服を着て、塩水と魚のウロコにまみれていた。

そんな仕事をしながら、海のことや魚のことを発信する方法がないかと模索していた。宣伝会議が開催している「編集ライター養成講座」のことをたまたま知って、4月から通いはじめた。

2012年は、長女が1歳、次女が妻のお腹にいるというタイミングで、昼すぎまで仕事をして、午後は大学院入学試験の勉強をして、火曜日と木曜日は18時半~21時まで編集ライター養成講座にいき、隙間時間に課題をこなしつつ、職場の畳の部屋で寝袋でこっそりと仮眠をして1時過ぎから仕事をするという生活を送っていた。

ハイテンションな1年だった。

編集ライター養成講座は、編集・出版業界で活躍するさまざまな方が講師となり、リレー方式で講義やワークが行われる。

その日は、「表現力養成トレーニング」だった。

いつもバタバタと遅刻して参加していたぼくだったが、その日だけは「時間厳守」と言われて定刻通りに行ったのを覚えている。

ワークでは、少人数のグループになって、自分が子どもの頃に好きだったこととか今までの人生とかを振り返り深掘りしていく。

それから、一人ずつ参加者の前に出て、「自己紹介」をする。

ぼくの番になって、ぼくは、築地のセリ人という仕事について話をした。

三重県で漁師の見習いをしながら自分が漁業の現場をなにも知らなかったことに衝撃を受けたこと、魚の流通が知りたくて築地の会社に入ったこと、日々小さな魚を売りながら大きな魚がいないとぼやいていること、自分で自分の首を絞めているように感じていること、など、自分がいままで言葉にできていなかった言葉たちがあふれてきた。

ひとしきりしゃべったあとで、ワークの最後に、自分の気持ちを一言で表す、ということをする。

「漁業のことを知ってほしい」

という言葉が、自然に出てきた。

「ああ、自分は、そう思っていたのか」と思った。

もちろん、漠然とそう思っていたから編集ライター養成講座に参加したのだと思う。でも、自分の言葉のシンプルで力強い響きに、驚いた。

21時にワークが終わった。

ぼくは近くのコンビニに駆け込み、職場にFAXを送った。「入荷予定表」と呼ばれるもので、どの漁港からどの魚種が何ケース来て、それをどこに何ケース配達するようにという指示書だ。これを送らないと、現場は回らない。遅くなってしまって現場のみなさんに申し訳ないと思いながら、21時10分にFAXを送った。

興奮していた。

4時間後には仕事がはじまるタイミングで、どう考えても職場に向かって仮眠をとるべきだった。でも、そんな自分の頭とは逆に、身体はもう1度会場に向かっていた。

講師の先生はまだいて、生徒の個別の質問に答えていた。

ぼくもその列に並び、先生と直接話すことができた。魚について発信をしたい、というようなことを聞いたのだと思う。詳細は覚えていない。

覚えているのは、先生から、「あなたはクリエイティブだから大丈夫」と言われたことだ。

びっくりした。

「クリエイティブ」という言葉は、アーティストやミュージシャン、起業家など、なにかを作り出す仕事をしている人に使う言葉だと思っていた。ぼくは魚屋で、港で揚がった魚を魚市場で売っているだけだ。それのどこがクリエイティブなんだろう、と思った。

でも、うれしかった。

「魚屋でもクリエイティブでいられる」というアイデアが新鮮だった。

いろいろあって翌2013年に築地の会社を退職することになったのだが、そのままセリ人をやっていたとしても、きっと新しいことに挑戦しながら面白く生きていただろう。

自分の気持ちに気付いたから。

「クリエイティブ」という羽根をもらったから。

後年、プロのライターの方から、「養成講座なんて意味あるの?」と言われたことがある。ライターになるなら、講座なんて出てないでとにかく書け、という叱咤激励だろう。その気持ちもよくわかる。ぼくは養成講座を出たけれども、ライターにはならなかった。ときどき文章を書いているけれど、養成講座で文章力がついたというわけでもないだろう。

でも、間違いなく言えるのは、あの2時間のワークに参加していなかったら、あの日、自分の気持ちに出会っていなかったら、いまのぼくはいなかっただろう。

その後、人前で話す機会が増えた。でも8年経った今でも、話していることはあの日と同じだ。

「三重県で漁師の見習いをしながら自分が漁業の現場をなにも知らなかったことに衝撃を受けたこと、魚の流通が知りたくて築地の会社に入ったこと、日々小さな魚を売りながら大きな魚がいないとぼやいていたこと、自分で自分の首を絞めているように感じていたこと」

あのとき出会った自分の心の奥にある気持ちが、いまでもブレずにここにある。ありがとう。



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