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街でする梅仕事、里山でする梅仕事

移住してきた川俣の家には、以前住んでいた女性が植えた様々な種類の梅の木並んでいます。

「小梅から南高梅まで色んなのが沢山なるよ」

大家さんから聞いて
「へぇ〜すご〜い。」といいつつも、
あんまり想像がついていなかったと思い知ります。

埼玉でも梅干しを漬けたりはしていて、スーパーで実を買うこともあったので、「アレね、アレの大きいやつや、小さいのが取れるのね。」となんとなく分かった気がしていたんだと。

3月に引越してきた頃、梅が咲いていました。
埼玉に比べるとかなり遅く咲いた事に、少し得した気分に。

梅が咲いている画像
冬の南高梅

花の香りに誘われて、蜂が飛び回り、
花が散ると、小さな実がなり始め、
毎日毎日ちょっとづつ大きくなる。

へぇ。こんなところに。
へぇ。こんな小さいんだ。

思っていたのとは違うところは沢山。

そろそろかな?と毎日眺めるのも楽しく、
ころっとした見た目も愛おしい。

「梅の実ですよ」と袋に詰められた姿とは
また違うものに見えるもので、これが愛着かと。

いよいよ青梅の収穫。
高い木に登って、高枝切り鋏でやっと届く実もあり、ハラハラドキドキ。そうやってキャッキャと取るのもまた楽しく。

収穫ほやほやの青梅

実のおへそをほじって、あー面倒!と投げ出したくなるのもまた味で。

瓶が足りない、砂糖が足りない、何か忘れてる。
ドタバタもまた味……で(笑)

色々ありながらも、なんとか梅酒とシロップの仕込み終わり、ずらりと瓶が並ぶ姿は、達成感もあいまって輝いて見えました。

仕込みたての氷砂糖と青梅が美しい

ここでの暮らしは、自然のほうから「そろそろですよ」と訴えかけられて始まる仕事が多く、やらなきゃいけないことが多いと思えばそれまでだけど、

自然に追い立てられて頭をひねらせ、自然の恵みを活かしたり頂いたりというのが、街暮らしでは感じることがなかった感覚で新鮮です。

そして、なんだか人間らしい感じがします。
なんでだろう?

梅は実がなる枝とならない枝があり、剪定の大切さが分かります。それは1年2年と先を見据えて行わなければならず、間違えれば来年は収穫することができないかもしれません。身が引き締まる思いがするものの、ワクワクもします。

うまくいくこと、いかないこと。
その試行錯誤も全て勉強!

文:妻 写真:夫

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