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不登校は、学校以外の世界を学ぶチャンス

おはようございます!
株式会社学びの庭ひまわり代表&エデュケーション・ディレクター鈴木敬です。

お正月、美味しいものばっかり食べ・・・

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ひたすら飲んだので・・・

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ジムでダイエットしてます(笑)

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1食分減ったかな(笑)


そんなお正月が終わって寺子屋ひまわり、再開しましたが、昨日はとても嬉しいご報告をいただきました。

お子さまが不登校のAさんより。

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「以前は、なんとか学校へ行かせようとしていた時期がありました。でも、そんなイライラを手放し"行かなくてもいいんだよ。あなたは今のままで最高"と、心から思えるようになりました。昨日は久しぶりに学校へ行ったのですが、お友達が優しく接してくれたようです。イライラを手放した途端、すべてがスムーズに流れるようになってきました!」

素敵なお話しですね。感動!

「不登校だったおかげで、かえっていろんなことが学べたようです。いろんな集まりに参加したり、おうちで料理をつくったり。寺子屋ひまわりにも出会うことができました。

そして、何より、自分自身を見つめる良い時間になったようです」


そうなんですよね〜忙しすぎるんです、大人も子供も。日本人は。

忙しくても息を吸うことはできます。が、学ぶことはできません。

前のnoteで「スクール(学校)の語源はギリシャ語のスコレー(暇)」と書きました。まさに、あれです。

本当の意味での学びには、「暇」が不可欠なんですね。


人間には大きく分けて「短期目標」と「長期目標」があります。

「期末テストで満点取るぞ!」これは短期目標。

「いい人生を送りたいな」これは長期目標。

いい人生を送るには、長期目標が必要です。「回り道をする」「いろんなことを学ぶ」は、そんな長期目標を叶えてくれます。


ところが、学校といえば「テスト」のために行っているようなもの。中間が終わった翌日から期末テストの勉強。

前のテストが、次のテストの予行演習になり、それが入学→卒業まで続きます。

小学校では、テスト以外のこともたくさんやるでしょうが、どれも「良い点を取る」に結びついたもの。それ以外のことは、まずやらないでしょう。


これでは「学び」になりません。ただの「記憶」です。


学びというのは「自分とは何者か?」を知るためのもの。

いろんなものに触れ「感動した」「気づいた」「失望した」「笑った」「泣いた」・・・という、

「化学変化」

を自分の中に起こすものです。それは、テスト勉強メインの学校ではなかなかできないんですね。


不登校は「本当に学ぶ」大チャンスなのかもしれませんね。

オンライン音楽教室を運営する会社を経営しています。他に、ピアノの先生の学校学長、作曲家・ピアニスト、オーケストラ指揮者。最近、スポーツジムにハマってます!http://himawari.ishikawa.jp