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俺たちは田中摩美々の恩師になれるのか

あなたに、尊敬できる恩師はいるだろうか。


……なにぃ!?いるぅ!?


そんな素直なあなたには先に謝らせてもらうが、本稿はここで「いない」と断言できてしまう、私を含めたひねくれた奴らに宛てて書くものである。
田中摩美々がプロデューサーに求める在り方を、まっすぐに生きてきた人たちはどうやら知っているらしい。
でも、俺たちは知らない。そんな立派な人たちは、俺たちの人生に登場しなかった。
想像はできても、目指す手本がなければ歩みは迷ってばかりで、自分の立っている場所すらわからない。
不安だ。俺たちは摩美々の求めている俺たちに足りているだろうか。この先、摩美々に応え続けることができるだろうか。
それでも、たどたどしくても、俺たちは田中摩美々のプロデューサーだから、それにならなくてはならないのだ。


人を「叱る」のって難しくない?


1."悪い子"摩美々

プロデューサーのスカウトによって事務所を訪れる摩美々をみて、俺たちは最初にこう思う。

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この子…いや…まさかな…

この半疑はプロデュースを進めるにつれ確信に変わり、

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その心理の裏側に思い至った俺たちは胸が張り裂けそうになりながら、最後には優勝コミュでとどめを刺され、「mmm……」と呟くだけの廃人に成り果てる。

コメント 2020-08-20 010044

田中摩美々は、アイドルになった理由を「プロデューサーといると”面白そう”だったから」だと語った。この”面白そう”を紐解くためにプロデューサーと彼女の最初の邂逅を振り返ってみても劇的な展開はなくて、ただのお節介な男がいるだけだ。
だが、田中摩美々にとってそれこそが重要なファクターだった。
この時のプロデューサーは初対面の「高校生の少女」を心配し、言って含めるように帰宅を促した。関係性の薄い相手にさえ世話を焼くその態度に彼女は興味を持ち、「高校生の少女」は「田中摩美々」になることを望んだ。”悪い子”を自称する彼女にプロデューサーが振り回される日々は、彼女の期待通りのものだろう。
摩美々の琴線に触れた「叱る」という行為は、それが正しい方法であれば、最大の愛情表現である。
これに気づかされるのは、自己管理が求められるようになる大学や社会に出てからのことが多い。それまではあれだけガミガミ言われてきたのに、急に自由と責任のセットと一緒に放り出され、自らの行動が自らに大きく影響する状況下に緊張したり戸惑ったりする。
同時に、うんざりしていた教師たちの注意や説教が、自分たちが悪い方向に傾くのを未然に防いでいたことを思い知って途端に寂しくなったりするものだ。
それらが好意に位置するものだと摩美々が気づいているのは、やはり非行に走る少年少女の多くがそうであるように、親からの愛情に飢えているからなのだろうか。

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断片的ではあるが、いくつかのコミュを見る限り、摩美々の両親は確かな愛情を与えているように思えるし、摩美々もその愛情を大切にしていることが窺える。ではどうしてとなったところで、摩美々がよく口にする”悪い子”がキーワードになる。

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摩美々は両親に愛されている。摩美々もまた両親を愛している。
けれど、満足していない。
十分に愛情はもらっているはずなのに、もっと欲しいと思ってしまう。
もっと自分のことを見て欲しい。もっと自分に構って欲しい。
誰かに、見つけて欲しい。
そんな自分を揶揄して”悪い子”と表現すること自体があまりに”良い子”なのだけど、そう口にすることが摩美々の免罪符になり得るなら、摩美々はどんどん”悪い子”になるべきだ。田中摩美々が魅力的であることは間違いないし、誰かの期待や応援を力にできる女の子で、何よりそれに感謝できる"良い子"なのだから。

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求めることが悪になるのはきっと感謝を忘れた時だ。


2.「叱る」ってどういうこと?

叱られる経験は誰しもあることだと思うが、それがなんだか腑に落ちないというのも誰しも経験があることだろう。
その理由の多くは「叱る」側に依存している。怒りに任せて言葉をぶつけられてもそれは一方的な自己満足で終わるし、ルールを守れていない人からルールを守れと言われても説得力の欠片もない。
「叱る」という行為が愛情表現であることは前述したが、それは正しい方法であれば、という条件も併記した。
それでは、正しい叱り方とはどんなものなのだろうか。
田中摩美々を正しく「叱る」ために、俺たちはそれを理解する必要がある。

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訳あって教育学や指導法の著書を読み漁っていた時期があった。これはテストや受験に使うためではなくそのまま実践するためだったので、知識を吸収した上で自分なりの回答を出す必要があった。当時の私なりに出した答えがメモに箇条書きで残っていたので羅列しよう。

a.万人に効果的な一律の指導法はないので、指導対象を分析しパターン化する。
b.ある程度までのパターン化は可能だが、人間の精神構造は複雑で、結局は仮定と検証を繰り返して個人に合わせた指導法を探っていくしかない。
c.上手くいった指導法でも対象が変わるなら当てにならない。ゼロべースで検証を始めること。

うん、答えになってないなこれ。
bがaの否定で、cがbの否定で、結論出てないやん。
当時の私の苦悩が見て取れる。
そう、誰かに指導するってびっくりするくらい難しいのだ。
そんなん適当でええやろっていうそこのキミ、ちょっとコイツを見てみろ。

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摩美々の敗退コミュが鞭打ち・水責めに名を連ねるポピュラーな拷問であることはあまりにも有名だ。
どうしてそんな自分を傷つけるようなことばかりいうんだ!!見てるほうの胃が先に爆発するだろこんなん!?
俺たちは地獄を見てきた。そして決心したんだ。2度と摩美々にこんな顔はさせないと(ループ系主人公感)。

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(磯野ー!体力がいちじるしく削られたのでマイベストmmmの話しようぜ!!!ボクは夏どがmmm!!!次点はおはひなmmmだな!!!)

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正しい「叱る」という行為は、諭すとか説得にニュアンスが近い。どうしてそれが悪かったのか、どう対処していくのか、全て本人に納得させてこそである。
そういう意味では、GRAD編で摩美々がレッスンをサボった時のプロデューサーの対応は、かなり理想的だ。

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・頭ごなしに責めずに理由を訊く

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・原因へのアプローチ

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・その上で謝罪させる(そのフォローもする)

この場合、トラブル単発の解決と悩む摩美々をいい方向に導くことの両方が必要だが、実際はどうしても片方のみになりがちだ。つまり、サボったことを責めて謝罪させるだけになるか、悩みの相談に乗って謝罪はプロデューサーが行うかである。
両方をクリアできているのは、プロデューサーは摩美々が理由もなくこんなことをしないと信じていて、摩美々はプロデューサーを信じて悩みを打ち明ける、ここまで築いてきた互いの信頼関係の賜物ともいえるが、そもそもこの関係において信頼関係の構築は必須になるだろう。
また1つハードルが上がったところで摩美々の悩みに関して話を移すと、いわゆる「壁にぶつかった」状態で、モチベーションの低下が悩みの根幹となっている。
こういった時の対処法は無数にあり、それらを提示するのは簡単だ。しかし、摩美々の成長に繋げるなら自ら回答を出し乗り越えるといった体験をさせることも重要で、プロデューサーもその方向のアプローチを取っている。

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・別の観点に気付かせる

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・自分で答えを出すように促す

この成長に期待して敢えて本人に委ねるという部分の匙加減は、永遠のテーマとなり得るくらいには難しく、最も慎重に検討すべきところだ。委ねた分が大きければ大きいほど成長の度合いは大きくなるが、委ね過ぎればそれはただの無責任となる。
今回でいえばほぼ回答の手前まで誘導していて、これは既にレッスンをサボるというアラートが上がっていることを加味してのことだろう。こういった危険信号を意味するアラートは上げられずにそのまま潰れてしまうことも多く、それ故に検討材料としては重要視すべきである。

こうして送りだした摩美々がさらに飛躍するのを見て、俺たちは万感の思いを込めて感謝を口にする。

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プロデューサーから摩美々への感謝はもちろんWING編との対比になっている。あの日のありがとうへのアンサーとして、俺たちはこれからも摩美々へありがとうを贈り続けるのだ。
もう一度言おう。求めることが悪になるのはきっと感謝を忘れた時だ。
誰かに何かを求めるのは悪じゃない。
摩美々が俺たちに何かを求めているように、俺たちも摩美々に何かを求めている。
「叱る」ことの本質は、相手に成長を求めることなのだから。


3.俺たちは恩師になれるのか

私が実践を続ける中で辿り着いた回答は実にシンプルで、誰にだって実現可能なものだった。

誠実で在り続けること。

そう、誰にだってできることだった。でも簡単ではないことも事実である。これは知識やスキルとは関係のない意識の問題で、逆にいえばどんな人も労力を割かざるを得ないからだ。
そのままだと観念的すぎるので具体的な型をはめていく。冒頭で「恩師はいない」と思った人たちも「頼りにはならなかったが、嫌いじゃなかった人」くらいならいるだろう。先生だって先輩や上司だってなんだっていい。
認めるのは癪だろうが、その人はあなたの恩師だ。
誠実であるということがどういうことかといえば、誰かに対して不誠実でないと言い換えると意外に伝わりやすいかもしれない。
あなたがその人を「嫌いじゃなかった」のは、あなたを見て、あなたに向き合ってくれていたからではないだろうか。
結果が伴わなかったとしても、懸命に向き合ってくれる人に好感を持つのは当然だ。そして、本当に必要なのはただそれだけなのだ。それだけが全ての「叱る」に通ずる唯一のもので、田中摩美々の求めるものだ。

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摩美々がより輝くことを願って、摩美々のことを考え続けていこう。
もしその輝きに後ろめたさを感じても、焦る必要はない。ゆっくりでいい。摩美々と一緒に歩んで、摩美々に誇れる自分を目指せばいい。
俺たちが夢中になっている"悪い子"は、どうやら数年で満足する気はないようだから。俺たちが「恩師」になれるとしたら、ずっとずっと先だ。

それまでは可愛いイタズラに翻弄される日々を、たまに垣間見える"良い子"に悶える日々を、田中摩美々というアイドルが輝く日々を、一つ一つ積み上げていこう。


いつか大切な記憶たちを笑って語り合える、そんな日を楽しみにして。

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