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ゴッホ 漢字説

「ロンドン・ナショナル・ギャラリー展」国立西洋美術館でぐりぐり



不要ではあったんですが、日時指定チケットを数週間前に購入済で不急とは断言しきれず7月23日に行ってきました、「ロンドン・ナショナル・ギャラリー展」国立西洋美術館。ごめんなさい。

拙宅の奥様の手引きで先に西美の常設展に行って、ゴッホの「ばら」とフェルメールに帰属の「聖プラクセディス」と松方コレクションの印象派いろいろを予習した後突撃。

22日は当日券も結構売れたようで混んでたようですが、23日は4連休外出自粛要請もあり日時指定の客だけだったみたいで、快適な鑑賞環境だった。日時指定でネット販売が中心になったせいかもしれないんですが、リュック(大)+帽子+大声の高齢者群が姿を消してそれも快適。

で内容なんですが、ロンドンのナショナル・ギャラリーは学生の頃に一度いったはずなのに”イタリアの人は廃墟の絵をかくのが好きだなぁ”と思った意外、ほぼ記憶に残ってなかったんです。でも、みたら結構思い出した。

目玉はゴッホの「ひまわり」とフェルメールの「ヴァージナルの前に座る若い女性」。

「ひまわり」は、名探偵コナン劇場版「業火の向日葵」にでてくる一覧表と似たようなのがあって、全ひまわりの解説が丁寧でした。
…だけでなく、常設展にある「ばら」に比べると背景のタッチが整然としてて面白かった。「ばら」は晩年入院していた精神病院で描いたものとのこと。
ゴッホの絵って、漢字みたいだと思うんです。ぐりぐり置いていった点の一塊でひとつの意味をなす。で、ぐりぐりの点ひとつハネひとつが欠けても、少なくともゴッホ当人にとっては”間違い”になってしまう。
お日様の方を向く向日葵は当時忠誠心の象徴だったらしく、一時共同生活を送ったゴーギャンへの忠誠心の表現との解説もありました。ということは「ひまわり」の頃はまだ意味をはっきり掴みながら描いていた。お花そのものは豪快にぐりぐり描いてますが、背景は丁寧にぺたぺた塗ってあって、花の豪快さとか生命力とかを引き立てている。でも「ばら」になると背景も全部ぐりぐり。画数が多いだけの難しい漢字を、意味を掴みかねるまま描いた感じ。病んでるわけではないんですが、どこか朧げでやさしげ。国立西洋美術館だからこんな感じで見比べられるんで、これはお徳だった。

フェルメールの女性はあいかわらず両目が離れていた。一方「聖プラクセディス」は彼による模写ということなんですが、それにしてもフェルメールの他の絵の女性と全然雰囲気が違ってて、大丈夫か?レベルで違ってた。

あ、あとニューオーダーの「権力の美学」(1983)のジャケットの絵、アンリ・ファンタン・ラトゥールの「ばらの籠」も来てて物凄く綺麗だった。現物をみる有難さはこれが一番大きかったかも。本当は前に一回みたことがあったはずなんですけれども。

https://youtu.be/ccW_Uf8GvYw

写真:ほぼ日もひっそりと連携していて和田ラヂヲ先生のグッズもありました(写真)。世が世ならほぼ日連動の他の展開もあったんでしょうね。