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掌編『とける帰り道』

 水泳の地区大会を終えた優馬は帰り道を俯いて歩いていた。
 彼の目には自分の足元しか見えてはいない。
 大雨が降っていた。
 黒い傘をさした彼の表情は、通り過ぎる人々にはうかがい知れない。
 学校からの帰りだろう。ランドセルを背負った子供たちが、優馬のそばを通り過ぎる。からからと笑い声をあげて。傘もささずにバシャバシャと歩いていく子供たちには、怖いものなど何もないかのような高揚感に満ちていた。
 優馬は舌打ちをしそうになった。が、歯をかみしめて耐えた。
 優馬はさしていた傘を放り投げた。
 すると、雨粒が頭頂部、肩、顔、体へと打ち付けられる。
 思わず、ふっと笑う。
 雨がこんなにも愉快なものだとは知らなかった。
 行き交う人は、優馬を怪訝な様子で流し見た。
 激しく叩きつけられる雨は、痛いくらいだった。バケツをひっくり返したような雨というのか、見慣れた住宅街もかすんで、夢の中にいるような錯覚を覚えた。
 優馬は、もっと笑いが込み上げてくる。
 彼にとって中学最後の大会になったのだ。
優馬は、今年高校受験を控えていた。地区大会は、次の県大会へとつながる。よっぽどのことがないかぎり、優馬は予選を通過するはずだった。
しかし、負けた。
 積極的に勝とうとはしていなかった。優馬の実力なら普通に泳げば勝てる。彼は体格にも体力的にも、恵まれていた。
 泳ぎ終わってプールから上がった優馬は呆然とした。部員たちは一様に腫物を扱うような態度だった。優馬と同じレースだった格下の相手は、予選通過に歓喜の声を上げた。
 彼は雨の中、すべてがどうでもよくなった。
「あっははは!」
 ジャージは水にぬれて、体にまとわりつく。
 踏みしめるようにアスファルトの歩道を歩く。
 しぶきが高く上がった。
 顔を天に向けて口を開けた。勢いよく降ってくる雨は優馬の口の中に滑り込んだ。
「甘い」
 体に叩きつけられる雨がかえって心地いい。
 優馬は、嗚咽と涙が雨と完全にとけ合ってしまうまで、傘をさそうとはしなかった。

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