「シークレット・サービス 大統領警護の舞台裏」(ロナルド・ケスラー著、吉本晋一郎訳、並木書房)

 本書は、アメリカ合衆国大統領の警護を担当するシークレット・サービスの仕事や歴代の合衆国大統領の内幕を、関係者のインタビューを通して描いたものである。

 シークレット・サービスと言えば、誰もが名前くらいは聞いたことがあるだろう。多くの人たちが描いている警護官のイメージは、合衆国大統領の周囲にいつもいる、スーツにサングラス姿の怖そうな人たち、といったものではないだろうか。

 あまり知られていないようだが、シークレット・サービスの仕事は大統領の警護だけにとどまらず、偽札関係の犯罪捜査もある。それはシークレット・サービスがもともと財務省のいち部署としてスタートしたからなのだが、そのあたりの歴史的経緯についても触れられているので興味深い。

 さて、シークレット・サービスの警護官というと人は誰でも、過酷な訓練を重ね、優秀な成績を修めた者だけが大統領の直近で警護の任務に就くことが出来る、と考える。しかし実際はそうでもないようだ。かのジョン・F・ケネディの時代に遡るなら、今まで触れたことも撃ったこともないトンプソン・サブマシンガンを、勤務に就いてから初めて渡されたりしたという。もちろん、ケネディの時代と現在の訓練の様子は違っている。現代ではどのような訓練プログラムが用意されているかについても詳述されていて、射撃、戦術、ドライビング、侵入者の取り扱いなどについての様子が書かれている。

 ケネディがあちこちの女性に手を出していたのは有名な話だが、その手の話はケネディだけにとどまらない。ジョンソンも評判が悪い。女性なら誰にでも手を出していたという話の他、人が大勢いるのも構わず庭の芝生で立小便をしたとか、そのような大統領がいたのかと呆れてしまうような話が続く。

 ちなみに、シークレット・サービスは暗殺者のことを「ジャッカル」と呼ぶらしい。これは分かりやすい。

 さて、警戒勤務中の警護員が注視しているのは、場違いの行動や状態だという。すなわち、暖かい日にコートを着ていたり、寒い日に上着を着ていなかったり、両手をポケットに入れて隠していたり、過度に熱狂していたり、逆に熱狂していなかったり、そういうものがポイントになるのだという。この辺りの事情は変に隠したりせず、わりと素直に書かれている。

 1981年3月に発生したレーガン大統領暗殺未遂事件は有名な話である。ワシントンのヒルトンホテル前で襲撃に使われたのは、22口径の回転式拳銃。警護官が身をもって銃弾を受け止めたが、レーガンも胸に被弾した。この事件を機に、警護官たちは襲撃の際はどういう風に動くべきかをさらに考えるようになったという。つまり、襲撃者ヒンクリーを捕らえるために多くの警護官が現場に残ってしまったのだが、レーガンにこそもっと多くの警護官がつくべきだったというものである。ホテル前での襲撃が陽動作戦でないとは誰にも分からなかったはずだからだ。実力のすべてを出し切るように仕向ける陽動的な襲撃、そしてその最初の襲撃のあとの撤退の際に本当の攻撃を仕掛けてくる可能性にもっと十分配慮すべきだったのだ。 

 個人的には、襲撃側によるこうした陽動作戦については、トム・クランシーが小説「合衆国崩壊」の中で描いていたのを覚えている。小説のようなプロフェッショナルな襲撃は現実にはほとんど起きないが、絶対に起こり得ないという意味ではないのである。

 ところで、シークレット・サービスの警護官が退職すると、現役の頃よりはるかに高額な報酬で民間企業に採用されるという話は実際よくあることのようである。民間企業にとっては、元シークレット・サービスの警護官のような稀少な人材なら大枚払ってでも雇いたいに違いない。また、ここがポイントだが、シークレット・サービスという組織の個性的な体質により、定年前に自己退職を選ぶ傾向がFBIのような他の法執行機関よりも高いという。すなわち、本人の転勤希望をほとんど考慮しない体質、業務成績もよりもお偉方との個人的コネが優先される体質、といったものに警護官たちはうんざりし、シークレット・サービスに見切りをつけて民間企業に移ったり、他の法執行機関に再就職したりする道を選ぶ者が多いのだという。勤続10年になる警護官の場合、初期訓練で同期だった者のうち3分の1以上が退職している場合もあるようだ。

 さて、歴代の合衆国大統領の中ではレーガン大統領の評判は非常に良い。一般市民に対するときだけでなく、周囲のスタッフに対しても気配りや配慮を忘れなかったらしい。しかし大統領夫人であるナンシーは酷評されている。夫妻の娘パッティも同様に酷評。レーガン本人とはまるで正反対の評価だ。

 ブッシュ(父)大統領「夫妻」は、警護官や周囲のスタッフに尊敬と思いやりをもって接していたと言われている。冬の寒い日に帽子を持っていなかった警護官を見て、恐縮する警護官に夫人がブッシュの帽子を貸したともいう。なお、コロンビアの麻薬カルテルがブッシュファミリー暗殺を外部に依頼したとの情報があった際には、後に父と同じく合衆国大統領となる若き日のジョージ・W・ブッシュの警護も実施されていたという。

 クリントンについては、何事も時間通りに進まないことで有名だったようだ。ヒラリーについては怒りっぽいことではニクソン以上だったという。スタッフを怒鳴りつけ、嫌味を言い、つらく当たる。ヒラリーが大統領選に立候補していた頃に女性有権者の声として報道されていたある言葉を私は今でも覚えているが、それは「女性大統領は誕生して欲しい。でもそれは彼女であってはいけない」というものだった。人格ゆえに同性からも反対されるということらしい。ヒラリー自身は自著の中でスタッフへの感謝の気持ちを述べているようだが、ありがとうの一言も言われたことがないと元スタッフは語っているそうだ。

 クリントン夫妻の娘チェルシーは、歴代の大統領の令嬢の中でも特に評価の高い令嬢だ。警護官たちに理解があり、非常に協力的で、問題を起こすことも無かったという。

 クリントン政権の副大統領アル・ゴアについても触れられている。息子の学校の成績が良くないとして叱りつけた際、「こういう連中のような人生になってしまうぞ」と言って警護官たちを指差したという。常識を疑うような有り得ない言動だが、レーガン以前の歴代の大統領たちを見ればさして不思議なことでも無い気がする。

 ジョージ・W・ブッシュが第43代合衆国大統領となり、2001年9月11日には同時多発テロが発生、本格的にテロとの戦いに突入する時代となる。しばしば報道されていたように、ブッシュは英語でまともに話せないことがしばしばあるのは事実らしいのだが、マスコミを前に話をする場合と異なり、周囲のスタッフにはユーモアや気配りを見せるなどうまくいっていたようで、そのあたりは父親譲りなのかもしれない。ブッシュ政権は概して、他の政権に比べてシークレット・サービスの仕事に協力的だったと高く評価されてもいる。

 その一方で、ジョージ・W・ブッシュ大統領の2人の娘、ジェンナとバーバラの警護は手に負えないものだったという。警護官たちと協力することより、警護官に苦情を言ってくれるよう誰かに頼むことの方に関心があったようだ。予定や行先などについて話すことも無く、警護官たちは振り回されてばかりだったともいう。

 話は少々変わるが、本書では、シークレット・サービスの時代遅れな装備について非難がなされている。テロリストが襲撃に使うのはまず間違いなくAK47であるのに、シークレット・サービスの警護官は火力の劣るMP5サブマシンガンを未だに使っているというものだ。なぜM4カービンにしないのかという主張であり、要はM4カービンに変更しろということなのだが、MP5に対し批判的な論調で「1960年代の装備であり、時代遅れだ」という表現が使われている。私見を言わせてもらうなら、これは時代遅れかどうかの問題では無いだろう。MP5は高性能なサブマシンガンである。命中精度に優れ、中途半端な大型ピストルよりもはるかに扱いが容易だ。世界中の特殊部隊で採用されているというのも大いにうなづけるのである。警護任務中にMP5を装備していいなら、大いに頼りになるに違いない。ただし、襲撃側が火力のある武器で来ることが想定されるなら、警護側も火力の強化を図る必要があるということである。本書を読んでいると、MP5自体が古くて性能の劣る銃器であるとの誤解を招きそうであり、その点は一言断っておきたくなる。

 シークレット・サービスが警護対象者に対してそれぞれコードネームを与えて呼ぶことについて、世間一般でも知っている人は多いに違いない。ジョージ・W・ブッシュがTrailblazer(開拓先駆者)、副大統領のチェイニーがAngler(釣り人)といった具合だ。選び方は無作為で、ただしその本人と何らかのかかわりのある言葉が選ばれ、同じファミリーは同じ頭文字から始まる。例えば、ジョージ・W・ブッシュ大統領夫人のローラがTempo(テンポ)、チェイニー副大統領夫人がAuthor(著述家)などである。

 バラクとミシェルのオバマ大統領夫妻もまた協力的で親しみやすく、評価の高い大統領夫妻であるが、黒人初の合衆国大統領の誕生により、ブッシュ時代に比べて約4倍の脅迫件数という事実も生まれる一方で、オバマの就任式では所持品検査を受けた人と受けていない人とが混在するなど、いつ襲撃が起きてもおかしくない状況をシークレット・サービス自らが引き起こしていたとも言われる。

 シークレット・サービスという組織が、実際はFBIその他の法執行機関よりもはるかに多くの問題を抱えており、合衆国大統領さえも万全の状態で警護されているわけではないことを本書は指摘しているわけであるが、多くの警護官たちとのインタビューを通して描かれている合衆国大統領警護の舞台裏は、一読の価値がある。

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