「降霊会の夜」(浅田次郎著、朝日新聞出版刊)

 いつのことだか忘れてしまったが、まとめ買いした大量の本の中の1冊。浅田次郎の名前はもちろん知っていたし、短編をいくつかすでに読んでいたので、安心と期待を持って読み始めた。

 序盤は、確か電車の中で読んでいたのじゃなかったか。しかしコロナの影響で電車利用を避けるようになり、かといってまだ物語に引き込まれるほどでもない序盤の段階だったため、読書の進行具合は少々途切れた。

 しかし、自宅で、週末の朝に、パソコンの無い和室でじっくり読んでみたら、一気に引き込まれた。初老の(たぶん)主人公が、偶然出会った謎めいた女性から、「特殊な技術」を持つ老婦人を紹介され、「降霊会」が催される。

(注:ネタバラシのつもりは無いが、レビューなので若干触れることになるため、ネタバレ気になる方はこの記事はスキップで)

 様々な理由で若くして死んでいった友人やその家族たちが主人公の周りに多いと感じるのは、この物語の性質上やむを得ないか、などと水を差すような話は控えめにするとして、幼い、あるいは若いときのままの姿で、多くの友人たちは主人公の記憶にとどまっている。死んでしまったためにその後の年齢を重ねた姿を見ることが出来なかったり、はるか昔に別れたきり消息を知ることが無かったり、理由はいろいろだ。

 物語は、大きく二つに分けることができるだろう。少年時代の記憶に残る貧しい友人家族の話と、恵まれた学生時代の怠惰の中に突然現れた・・・なんというか・・・静かな衝撃だ。

 前半、お互いを想っているはずなのに離れ離れになる家族。「知らない土地へ。そこで、あなたとキヨ坊と暮らしていけるのなら」との声が切ない。

 そして後半、主人公にとって忘れることのできない女性。その後の人生は、ひたすら彼女を想い続けての人生のようでもある。

 後半は、話の全体的な筋に加え、「もしあの子が場ちがいなダンスパーティに紛れこんでこなかったら」という友人の言葉もあり、1997年のスペイン映画『オープン・ユア・アイズ』 (Abre Los Ojos)、あるいは2001年のアメリカ映画『バニラ・スカイ』 (Vanilla Sky)を思い出させた。映画ほどプラトニックではないが。

 ということで、浅田次郎、期待に応えてくれる作家だ。


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