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”幸せな画家”ヴィンセント・ヴァン・ゴッホについて


生きているうちに売れた絵は一枚。片耳を切り落とし、最期にはピストル自殺をした……。小学生のとき友人がこのエピソードを教えてくれたとき、なんて怖い画家がいるのだろうとトラウマになったことを今でも覚えている。
そのせいで画家というのはかねがね片方の耳を切り落としてしまうのだとも思っていた。

そうした狂人的なイメージの強いゴッホだが、大人になりようやく彼が”幸せな画家”であることがわかり、羨ましくなった。


ゴッホが幸せな画家であったという考えは原田マハさんの作品”リボルバー”内で登場人物がこう推測している。

『ファン・ゴッホは、想った相手には受け入れられず、家庭を築くこともできなかったけれど、弟とその妻の不屈の情熱に支えられて世に出たのに対して、ゴーギャンは(中略)彼の芸術のために親身になって尽くしてくれる身内は存在しなかったんです』

原田マハ 『リボルバー』

岩波文庫から出ている『ゴッホの手紙』では、パリの画商であるヴォラール宛に、弟テオドルスやテオの妻が尽力してほしい旨を綴っている。つまり身内以外にもゴッホのために力になってくれた人物が沢山いたということだ。

私も拙作を読み支援してくれる友人に感謝の気持ちでいっぱいだ。もちろん、文学フリマで購入してくださる方々にも等しく同じ感謝の気持ちしかない。
まだ未熟な小説に対し、目を通し、あまつさえ感想まで言ってくれたりする。それは本当に幸せなことで、当たり前のことではない。その人たちひとりひとりのおかげで次回も何か作品を作りたいという気持ちになる。

私とゴッホを比べるのもおこがましいと思うが、彼が生きている間、例え売れなくとも絵を描き続けられたのは金銭面的支援の他にそうした応援があったからではないかと思う。
応援してくれた人たちの期待に応えたい気持ちが、次の作品へと向かわせてくれる。成功を渇望しているわけではなく、単純に、もらった分の嬉しさを同じ以上の熱でお返ししたい。彼もそう思っていたのではないだろうか。


タイトルの意味に戻ろう。

ゴッホが幸せな画家であると思う理由には、彼がいなくなった後でさえ彼を想ってくれる人がいたという点である。一生をかけてでも信じぬき、作品を残そうとしてくれる人間が、どれだけいるだろう。
生きているうちに手に入る名声に目がくらむこともある。けれど、ゴッホが亡くなった後も彼の熱意は誰かに伝染し、火は途絶えなかった。
その理由は『ゴッホの手紙』からも推察できよう。


人々に恵まれた人生を歩んだゴッホ。彼は間違いなく幸せな画家であると私は思う。


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