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イキウメ 「外の道」 感想

私がここ数年1番好きな劇団、イキウメの「外の道」を観劇してきました。

本作は2020年上演予定だったのですが、コロナの影響で1年延期となりました。

この1年、ただ時が過ぎるのを待つだけではなく「外の道」という作品を温めて来たイキウメのみなさん。その過程を外の道WIPで見ることができるのですが、台本も演出も1年前からかなり変わっています。

まっさらな状態で観劇したかったので先にWIPサイトは見ていなかったのですが、観劇後見ると全く違うものがそこにありました。時間があるときにもう少しゆっくり見てみよう。

以下、イキウメのサイトからの引用です。

<外の道 イントロダクション>

同級生の寺泊満と山鳥芽衣は、偶然同じ町に住んでいることを知り、
二十数年ぶりの再会を果たす。
しかし二人には盛り上がるような思い出もなかった。
語り合ううちに、お互いに奇妙な問題を抱えていることが分かってくる。
寺泊はある手品師との出会いによって、世界の見え方が変わり、妻が別人のように思えてくる。
新しい目を手に入れたと自負する寺泊は、仕事でも逸脱を繰り返すようになる。
芽衣は品名に「無」と書かれた荷物を受け取ったことで日常が一変する。
無は光の届かない闇として物理的に芽衣の生活を侵食し、芽衣の過去を改変していく。
二人にとって、この世界は秩序を失いつつあった…。


(この先超個人的感想です。見た人によって感じることは違うと思うので「ん?どゆこと?」ってなる部分もあると思いますし、抽象的な言葉を使いまくっております。ご了承ください。)

毎回イキウメの舞台は、直接的ではなく間接的に、世の中の情勢を巧みに盛り込んできているような気がしています。それでいて笑えるところもあってハッとするところやゾッとするところもある。

そして完全には咀嚼できないまま観劇を終える。解釈や続きの物語は見た人に委ねる。。ところが好きで毎年観劇させてもらっています。

今回の舞台も咀嚼仕切るのは難しかったけど、最近私が考えていることに近いようなセリフがいっぱい散りばめられていて、何度もグッときました。


チラシに書いてある言葉も気になりました。

引っかかっている、なにかが。
気にしないで進む方が、かしこいにきまっている。
だが、そのかしこさの先に何があるのか。
小さな釣り針のような違和感で糸をたぐる。
道を、外れる。

今、私が当たり前だと思っていることは当たり前じゃないのかもしれない。世の中にはたくさんの仕組みがあって、そのなかで生きたり、ルールを守るのが常識だと思っているけど本当にそうなのか?常識とは?自分の意思は?想像する力がなくなっていってないか?

なぜ私はここにいるのか。これまでの過去を振り返れば語れるけど、過去って本当に記録や記憶どおりだったのか?もはや幼少期の記憶なんてほぼないのに?

過去は過去。戻ることもできないし正しさは立証できない。
わかっているのは今の自分のことだけ。

私たちはルールや常識に縛られなければ誰だって自由。
仕事があるとか、結婚して子供がいるとか、これまでどういう人生を辿って来たか、の記録や記憶があるけどそれってとても空虚なものなのではないかと。私たちは社会の中でたくさんの契約やたくさんの書類やたくさんの思い出に縛られて生きている。

もともと何者でもなかった自分に、いろいろな要素を足していった結果今の自分が存在しているのだけど、それって自分の意思で消したりやり直したりもできるよね。まあ多少思いきった決断をするときは「マジで?やるの?」なんて言われることもあるだろうけど。

なんてことを観劇しながら、観劇後、考えました。

そして「無」とはなんだったのだろう。「無」を配達する男、「無」に侵食されてしまう女。そしてどちらも仕組みの外で生きることを選ぶ。これについては私もよくわからなかったので、他の人の感想に習うことにしようと思います。

また、「無」の中を彷徨うシーンで2度ほど客席含め暗転になる演出がありました。本当に何も見えない。人の気配や声だけ感じる。想像力が掻き立てられる不思議な感覚になりました。


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