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姪っ子にコーヒーを一生おごってあげたい。

姪っ子の話。

そんなわけないだろう。君のいない人生なんて、もうないほうがましだ。考えられないよ。俺たちはみんな、君が生きているだけで、呼吸してるだけで、もうなんでもかんでもかまわないくらいなんだから。

姪っ子が姉と一緒に実家に帰ってきた日のことが忘れられない。
仕事が終わって急いで帰って玄関を抜けていくと、皆でここがいいんじゃないかと相談しながら設置したベビーベッドの中で、姪っ子はすやすやと眠っていた。

まずはもう、信じられない、と思った。病院で顔を見てはいたけど姉に抱かれる姿も見てはいたけど、私が暮らしている過ごしなれた家の中でふつうに眠りこけている姪っ子の登場が唐突すぎた。
ずっと楽しみに待っていたけどそれでも面白すぎて自然に笑っちゃうぐらいだった。おそらく我が家の中でも相当気を使って用意された清潔な綿のシーツの上で、みのむしのようにバスタオルで包まれた姪っ子がいて、その傍で姉はものすごく疲れ切っていた。

「ずっと泣いて泣いて、今ようやく眠ったんだよ。」

ほんとか?ほんとうにか?なんかもう、すでに慣れてます、ずっとこの家で過ごしてきましたけど、クーラーも適温でちょうどいいですね、みたいに普通に存在しているのだけど……と思いながらも不思議すぎて、とてもうれしくて、わくわくしていた。


姉夫婦にとって待望の第一子は、わが母にとっての初孫で、私にとっての初めての姪っ子だ。初の出産と産後育児に関して私は最初こそは「あまり甘やかしすぎるのも……夫婦2人で色々やれるのも最初だからこそじゃないかな、だからずっと実家にいるのもどうだろう」などと勝手に想像して発言していたけれど、それは早々に撤回して、姉が職場復帰するまでのほぼ半年間、実家で一緒に過ごした。

もちろん、すべてうまくいった、すべて最高だったわけではない。実家とはいっても賃貸アパート、私が生活費を入れても母は2つのパートを掛け持ちしていないと生活できない状況で(父は早くに亡くしている)、大人2人分増えた食費はなんとも調整できないぐらいの感じだったから、もちろん姉夫婦からも言ってくれてそこらへんは現金を受け取ってなんとかしていた。


姪っ子はよく眠る子だった。夜泣きもあまりしなかった。もちろん何時間もくずって泣き続けたりすることもあったけれどほんとうにまれで、だいたいは朝まで1人で眠ってくれる。
食物アレルギーもなく、離乳食も順調でもりもり食べた。
それでも姉はいつでも眠たそうで白髪が増え、お父さんは仕事で遅くなったりしながらもお風呂に入れたりミルクをあげたりくつろぎづらいだろう実家で休んでまた仕事へ出かけ、母も初孫と育児をする姉の為に色んなことをしてあげようとするあまり疲れ果てていたりした。
一番楽観的でいられたのは間違いなく私で、私はただただ姪っ子のことを何の責任のないままに眺め、一緒に過ごしていた。

姪っ子の登場がここまで自分の生きている時間軸に影響を及ぼすなんて、と今でも思っている。「こんなにかわいいと思うなんて」という気持ちと共におどろいているのは、「こんなにも、仲良くなりたい!友達になって私と!と思うなんて」という気持ちがあることだ。

私は姪っ子と友達になりたい。何も考えずに会ってすごして、何かを食べたり飲んだりしたい。ただただ、姪っ子が私に何をしてくれるわけでもないけれどでもなんでもいい、という意味で。

あと、それとはまた違ったベクトルで、私の人生が終わる日まで、姪っ子にコーヒーをおごり続けたい。してほしいと言われたわけじゃないけど勝手にそうしたい。その権利が欲しい、とたまに本気で考えている。

いのちの重さが同じだとして、私は姪っ子と一緒で、姪っ子は私と一緒だ。
姪っ子が1人の人間として生きていく日々の中で、色んなことが起こったとして、私が何かを出来る日はしてあげたいし、ただただそれと同じ気持ちで、なんともなかったとしてもただそこにいる人としていつづけたい。
両親とは違う、祖父母ともまた違うなぞの人。そんな私の事を姪っ子はあだ名で呼ぶ。母や姉が呼ぶ名前そのまんまで私を呼ぶ。まるで友達みたいに呼んでくれるのでうれしくてしょうがなくて、いつも「ドーナツ食べに行かない?」とか「今日は何して遊んだの?今度私とも遊びに行こうよ」と誘いまくってしまう。

姪っ子はもうすぐ4歳になる。姪っ子が私の目の前に現れて4年。
すごい。本当にすごい。
本当に、私が思考を止めるその日まで、たぶん新鮮におどろいていると思う。それぐらいの新鮮な唐突さで人は人として生まれ人に受け入れられていくのかもしれない、と感じている。これはそういうパターンもあるよという、ただそういうことなのだという一例に過ぎないけども、言葉にしたくて書きました。




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