落選狙いの保活、厚労省が審査厳格化について思うこと
いま、巷で話題になっている「落選狙いの審査厳格化」という問題。
2008年に第一子が産まれてから、ほぼ連続して子育てと仕事を両立してきた自分としては、このニュースを目にしてとても悲しい気持ちになった。
もちろん、一部の不当利益を得んがため、画策している人がいるのも事実なのだろう。しかし、本来、目を向けるべきは国の未来を背負う子どもを産み、育てている善良なお母さんたちのはず。
それなのに、どちらも一緒にひとまとめにして、まるで犯罪者を厳しく取り締まるかのような国の対応・姿勢に対して憤りを感じる。
僕がなぜこのように思うのか。
審査厳格化に対して、反対の立場から思うことをまとめてみたい。
そもそも意思の確認は不可能
このお母さんは落選狙いなのか、そうでないのか。
まず決定的なことは、意思の確認なんてできるの?ということ。
同記事によれば、2025年4月以降、新たに提出する申告書の記載内容で判断することになるという。
ちょっと考えてみればわかるが、その申告書が虚偽・不正であると、行政の保育課担当が判断できるのか。そして、その判断が恣意的でなく公平なものと言えるのか。
おそらく無理だろう。
単に行政職員の事務作業、手間が増えるだけであるのは目に見えている。
例えば、申告書の記入欄にはこんなものがある。
「通所に30分以上かかる保育所だけを希望する場合、その理由を明記する」というものだ。正当な理由付けはいくらでもできる。
これが不正かどうか、邪な意思なのかどうか。
一担当者に判断などできるわけない。
同様のケースで言えば、失業給付の就業意思の確認もそうだ。
失業給付は、自己都合の場合には3ヶ月の受給制限があるが、4ヶ月目からは働く意思があるとみなされれば給付を受けられる。月に2回程度、ハローワーク主催のセミナーに参加したり、担当者と求人相談をするなど求められる。
担当者との相談の際に、
「働く意思はある。でも希望する求人がみつからない。」
という返答を受けた時、これが邪な意思かわかるわけがない。
結論、無理筋である。
保育所は増えたが、別の問題が浮き彫りに
邪な気持ちではなく、育休延長を希望したいお母さん方。
その内面に迫りたいため、少しだけ自分のことを話す。
2008年、第一子が産まれた時、僕は23区内に住んでいた。
当時30歳だったので、15年ほど仕事と子育てを両輪で行なってきた。
奥さんは公務員、僕は起業したての零細企業経営者だった。
2人とも地方の田舎出身であり、都内の保活事情など一切わからないまま、行政の保育課に相談したり、保育園を見学に行ったりした。
当時はまだ、受け入れ先となる保育園が少なかった。
都内の認可保育園定員数と待機児童数を比較してみると一目瞭然だ。
2016年と言えば、SNSで「保育園落ちた日本死ね!」と題した匿名ブログが賑わった年だ。都内で保育園ふやし隊@何々という活動が盛んだったのがこの頃。
そこで行政がとった対応策としては、質よりも量でカバーする方針。
都内の認可保育園の基準を緩くし、受け入れ先の箱を準備したわけだ。
その結果、待機児童は2016年8466人から、2023年286人まで大幅に減少した。
コンクリートに囲われた塀の中の環境
いま直面しているのは量ではなく質だと感じる。
田舎暮らしだと想像がつかないが、都内には園庭がない認可保育園はざらにある。太陽の下、どろんこになって遊びまくるのが子どもの仕事なのに、身体いっぱい活動できる場所は、保育園という名のコンクリート塀の中である。
そうしたマンション一室の保育園は、2017年ごろから増え始め、ちょっと見渡せばいたるところに存在する。もちろん、当時の状況からすると、受け入れ先を増やすことで待機児童を減らすのが最良索だったのだろうけど。
いまは状況が違っていて、世のお母さん方は、我が子を少しでも安心して預けられる質の高い保育園を探している。実際に第2子以降の保活では、こうした情報を手当たり次第に調べ、保育に対する考え方や姿勢、園児の過ごす環境など、候補となる園に足を運んで相談もしてきた。(それで23区から引っ越したのだが。)
1日8時間ほど子どもをあずける。
まだ1歳になるかならないかの子どもを。
それが第一子ともなれば、保育園に質を求めるのは親心として当然だ。
もちろん何を優先するかによって、保育園選びもかわってくる。
・園庭がなくても駅近の立地を優先したい。
・せめて近隣に公園や自然がある環境を希望したい。
・保育園の施設内に園庭があってほしい。
このような背景を受けて、あるお母さんが冒頭紹介した申請書にこう書いたとしよう。
もし、希望するA保育園に落選したら、育児休業を延長して自分で子どもを見ていよう。これは落選狙いではないはずだ。
量よりも質の改善が求められる。
育児休業給付についても迫ってみたい
落選狙いというキーワードが賑わっているのは、そこに給付金というお金が絡んでいるからとも言える。延長申請が受理されれば、育児休業給付としてお金を受け取ることができる。
上図のとおり、令和5年度の育児休業給付は雇用保険制度予算の23%にあたり7625億円と試算される。今でこそ、育児休業中に月給の67%相当を満額受け取ることができるが、一昔前はそうなっていなかった。
2007年まで、育児休業給付は休業中にすべて受け取ることはできず、その一部は職場復帰後に支給される制度だった。
育児休業給付が創設された時の目的は、休業者の雇用継続。
そのためなのか、給付金は休業期間中に満額支給ではなく、その一部は復帰後の支給となっていた。
雇用継続という建前のもと、本音は休業期間終了後に退職するケースを防ぎたいという思いが見え隠れする制度だった。
2009年、休業期間中に満額支給に変更。
2020年、失業等給付の枠組みから独立し、目的も所得保障に変更。
育児休業給付について過去30年の流れは以上のようなものだ。
枠組みが変わったとはいえ、給付金の財源は毎月徴収される雇用保険料と国庫負担であることは変わらない。
邪な意思を持たないお母さん方に目を向け、その所得を保障するという本来の目的から考えれば、育児休業給付金を受け取る権利があるのは当然だ。
キャリア形成の代償と捧げる時間
もう1つ、考えなければならないのは育児休業に捧げる人生の代償。
その代償を引き受けるのは、いつの世も女性側だ。
ケースによっては育休終了後に、フルタイム or 時短で職場復帰する場合もある。もしかすると、第2子の妊娠出産が重なる場合もあるだろう。
自分の20代後半〜30代前半に職場復帰し、仕事に邁進したいという気持ちを持っている人も少なくないはず。
でも、妊娠、出産、その後に控えている育児は、想像しがたいほどの激務であって、社会で働いている男性の方がよっぽど楽なのではないかと感じる。
さらにいうと、自分が一番油の乗っている時期を、育児に捧げるという代償は計り知れない。
男性の自分が語ると説得力がないので、僕の奥さんの言葉を使わせてもらう。
僕の奥さんは、大学院卒業後、全国転勤のある公務員として働き始めた。29歳までの5年間、公務員として勤務し、30歳で出産。その後、第一子、第二子、第三子の子育てをほぼ連続して行っている。
20代後半から30代後半まで、出産と子育てに自身の時間を捧げてきた。
公務員という性質もあったためか、職場復帰に対して、うしろ指を刺されることもなく、第二、第三子の育児休業申請も、お小言もいわれずに受理されたという。
もしこれが民間企業だったら?
奥さんの言葉を借りると「復帰の選択を取らずに辞めていた」という。
世間的には「好きに子供を作ったんだから」という自己責任論が強い風潮があるが、これを男性に置き換えて考えてみてほしい。
大学院卒業後、新卒入社した会社の5年目選手。
29歳という体力・意欲も盛んな時に、5〜10年という長い期間、戦線離脱。
10年もあれば世の中の仕組みも大きく変化し、テクノロジーの進歩も目覚ましい。
その期間を、断片的にでも休業→復職を繰り返すわけだ。
子育ては夫婦で行うもの。
今の社会構造として、男性側に仕事の、女性側に子育ての負荷が高くなりやすい状況があるものの、
・職場内での自分の立場
・本来あったはずのキャリア形成
一例だが、こうしたものを天秤にかけて、女性が子育てを選択する。
その選択に、世の男性だけでなく、社会に生きる皆が敬意を払わないといけないと思う。(もちろん、邪な意思のお母さん方ではない場合に限るが。)
子育てに暖かい環境とはなんだろう
両親共働き、フルタイム勤務。
安心して預けられる保育園を見つけ、入園希望を提出する。
それでも、基準点不足で入園を断られる。
渋々、第一子とは別の保育園に第二子を預ける。
朝、グズる子どもを背に、5キロ離れた保育園まで自転車で送迎する日々。雨の日も、風の日も。
もし、落選でもしようものなら、勤務先から「落選狙いでは?」と勘繰られる。
そして、子どもが発熱し早退でもしようものなら「子持ち様」と揶揄される。
本来、出産と子育ては国家100年の大計であるはず。
上に書いてきたように、母親としての時間を捧げ、キャリアと引き換えに、未来の子どもを育てている人もたくさんいる。
そうしたお母さん方に、少しでも優しい社会、暖かい環境を作らないといけないし、それは社会の仕組みをどうこうする以前に、僕ら一人ひとりの心持ち次第なんじゃないかと思う。
邪な意思に目を向けるのではなく、それ以外の多数の善良なお母さん方に暖かい社会であってほしい。
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