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受け取るのが苦手だった

こんばんは。
あなたは、なんだか申し訳なくて、ものを受け取るのが苦手だ、という気持ちを覚えたことはありますか?
やまだはそんな気持ちを覚えます。雑な文ですが、以下はやまだの例です。




やまだは、好意の詰まったものを受け取るのが苦手だったと最近気づいた。嬉しいし断る理由なんてないんだけど、やっぱり申し訳なさが勝っちゃう。やまだは、去年まで誕生日を人に教えないようにしていた。いつ?と聞かれたら、7月、とだけ答えるようにしていた。誕生日を祝われたら、なんだか泣いてしまうと思っていた。

やまだは、やりたくないことは後回しにしてしまうずぼらな人間である。でも実は、やりたいことまで後回しにしてしまうのだと最近気づいた。お金の心配が・・・今は忙しいから・・・と何かしら理由をつけて、やりたかったことは数カ月たたないとやらないのだ。買いたかったものも、行きたかった場所も、かならずワンクッション置く。しばらく待ってから、そろそろやんなきゃな・・・と重い腰を持ち上げる。

やまだは、どんなことでも、すぐやらない。かなり待ってから動き出す。やまだは、一番欲しいものはほとんど手に入れようとしない。何かと理由をつけて、2番目か3番目を手に入れようとする。だいたい、お金がかかるから、と理由をつけている。

やまだは、やりたいことをやらない。ほしいものを求めない。動き出すのが遅い。
実はやまだは、人の誕生日を祝うのが大好きだ。相手が喜んでくれると、本当にうれしい。でも、祝われるのは得意じゃない。祝われるのも本当にうれしいんだけど、なんだか抵抗がある。
それは、祝われるのを受け入れていない、ということなんだと思った。ほしいのに求めない、という特徴が理由だと思う。やまだは、うれしすぎることがあると、それを避けようとする。
やまだは、やまだが幸せになるのを許していない気がする。

やまだは自己肯定感が高いと思って生きてきた。やまだは実に恵まれている。家族、友達、恋人はみないい人だ。出自や身体に問題はない。やまだ自身、ほめられることが多い生だったと思う。今の環境も、結構好いている。けど、やまだの自己肯定感は高くないのかもしれない。やまだは、やまだという人物が、幸せに価する人間だと認めているだろうか。

何かものを受け取るとき、やまだは申し訳なさが出る。手間ひまかけてしまって申し訳ないと思ってしまう。やまだにはもったいないと思っているのだろうか。

やまだはほめられることが多い生だったと先に書いた。幼少のころ、やまだは両親からほめられるのがうれしかった。けれど、いつからだろうか、やまだはほめられるのが当たり前になった。ほめられると嬉しくなる代わりに、ほめられると安心するようになった。よかった、セーフラインだ、と。

やまだは、やまだをなかなか許せない。幸せになりたいならほめられるくらいじゃないといけないと、思っているのだと思う。やまだは完璧主義なのだろう。

最近はいくぶんかよくなった。SNSで非公開にしていた自分の誕生日を公開できるようになった。原因がわからない葛藤の末、公開してもまあいいか、と思えるようになった。

だが、やまだは自分のやりたいことをやらないし、やるべきこともやらない。ほっといたら何にもやらないでじっとしている人間なのだ。

やまだは自由な大学生をしている。やまだはやれと言われないのに、やまだのことを変えたいと思っている。やまだは一番欲しいものを手に入れられるようになりたい。


読んでくれてありがとうございます。
おやすみなさい。

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