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01 図書館、その横の公園

私にとって本は“ともだち”で
図書館 は自分に立ち返ることのできる“プチパワースポット”のような存在です。

たくさんの本がびっしりと並んだ棚の前に立つと、
あらゆる国、時代の人たちが、色んなことを主張・表現していて
そこから放たれるエネルギーのようなものをひしひしと感じます。

エネルギーの強さで言うと、
大学図書館の地下で出会ったソクラテスやルソー、デカルトなどの分厚い哲学書の本棚。
当時のわたしは 隣同士に並ぶ本たちが、互いに意見交換をし、時には激しく討論さえしているような印象を抱いた。(読んでもさっぱりピーマンだったのでスッと戻しました。)

(余談)
そんな“パワーを貰える図書館”に通うわたしが、
自然と身に付けた些細な“マイルール”が2つある。

1. ちょっとでも気になると思ったら迷わず借りる。
本屋さんと違って無料なので、手に取る躊躇はない。また1冊でも借りてしまえば、返却するのにまた行かなければならない。そのため図書館に通うことを習慣化でき、本が身近な存在になっていく。まさに図書館の無限ループにハマっていく。

2. 借りても読まなくていい。
「ちょっとでも気になる」と手に取った本が、家に持ち帰った時に読みたくなるとは限らない。あくまでも身近に本を置いておくことが大切で、忙しくて読めなくても気にしない。返すタイミングでちょっと読もうと思ったら面白く、貸出延長をする場合などもある。目につく場所に本があるだけで、ふとしたタイミングの暇を自分の興味に注ぐことができる。

こんなゆるいルールを勝手に築けたおかげで、楽しい読書ライフを送れている気がします。(笑)
手軽に(物理的に)本と近づきたい方は、どうぞお試しあれ。

地元の図書館に通い始めたのは学生生活 終了のタイミング。
親しい友人が、遠方に就職したり、結婚や生活リズムの異なりから少し疎遠になったりと、休日でもひとりで過ごす時間が増えた。
仕事は平日休みだったこともあり、地元にいる友人とも昼時は会いにくく、本が好きな私は自然と図書館に入り浸った。

当時は手芸用品を扱うお店で働いていて、その情報源のほとんどをこの図書館で得た。刺繍や編み物、洋裁の何もかも知らなかった私は、この図書館に全部教えてもらったのだ。

当時の図書館は
ひとりぼっちの私を受け入れ、“すき”を深めてくれる心の居場所だったのかもしれない。

特に、図書館横の公園で読書をする時間は格別だった!

公園を囲う木々。その木々たちが揺れる音。

よく整備された一面の芝生や花壇。

噴水の水の音。

たまに魚が跳ね出てくるびっくり川。

電車が走る音。

走り回る子供たちや、犬の散歩をするおじいさん。

遊びに来られる園児・先生たちや、福祉施設の方々。

美しい景観を保ってくれる清掃員さん。

春には鯉のぼりが一面に出迎えてくれ、木々や花々も季節によって違う一面を見せてくれる。

一番驚いたのは太極拳をする団体と居合わせたことだ。(一回だけだったけど)


自由と平和が保たれたこの空間が、わたしは大好きだった。

ここに来ると、決まって私は木陰になった階段左端に座る。

ベンチは 日向に設置されていて、本を読むのにも眩しいし暑いので(ここは納得いかない 笑)、すぐさま階段の方に移動した。

今は仕事も変わり、新しい交友関係もできたりと
以前より図書館に行く回数は減った。

それでもこの場所に来るたびに
当時のひとりぼっちだった私が この場所に癒され、穏やかな心を取り戻していたことを思い出す。

先日、この公園の写真を撮りたいと思い
初めて図書館にカメラを持って出かけた。


閉館間際に訪れ、日の入りも早くなってきたので
辺りはすっかり暗くなっていた。
「写真を撮るのは次回にしようかな」と思っていた矢先、
遠くの山に沈みゆく夕日が 私の心をとらえて離さなかった。

もちろんすぐさまシャッターを押した。
あらゆる角度から
わたしのすきな場所の 美しい瞬間を逃すわけにはいかなかった。

すると同じように、スマホで撮影されていた女性と目が合う。
「お写真、見せていただいてもいいですか?」と声を掛けてくれる。
「もちろんです。」
あれだけこの場所に通い詰めていたにも関わらず、人から声を掛けられたのは初めてだった。

その女性はわたしの写真を見て「コンクールに出せますよ!」と無邪気に微笑み、
「今までで見た夕日の中で一番綺麗かもしれない」と言った。

わたしたち二人は、思う存分たそがれた。

時間が経過するごとに夕日の色も少しずつ変化する。

ふと丁度良い場所にあったベンチに腰掛けてみる。

太陽が眩しく、無意味な場所にあると思っていた椅子は

夕日を見るために置かれていたのかもしれない、と気づく。


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