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ボカロのなかのポストロック(その2)

ボカロのポストロックを集めたディスクガイド。(その1)の続きです。

急にやる気が出たので続きを書きます。気分でやってるから半年もなにも書かないことになるんだね。なるほど。

6. Haniwa/四弦奏者のための、孤独の奏法。

ベースの短いフレーズをルーパー(ギターのエフェクター。弾いたフレーズを録音してループできる)で重ねてリアルタイムに多重録音していくことによって、ベース、ドラムマシン、ボーカルという最小限の編成ながら、空間を塗りつぶすような濃密なサウンドスケープを作り出しています。ボーカルのスタイルがポエトリーリーディングなのも特徴で、結月ゆかりの冷たい語りが歪んだベースとドラムの激しい音と対比をなしています。曲のコンセプト上、バンド編成、楽曲構成ともにミニマルなものになるうえ、わかりやすいフックとして歌を使うこともできないため、ともすれば単調な曲となりそうですが、この曲はベースの音色の使い分けと音の抜き差しによる緩急の付け方が巧みで、聞きあきることがありません。曲を作る方法論がそのままパフォーマンスにもなっているので、演奏動画としても面白いですね。

ルーパーを使用するミュージシャンは数多くいますが、ポストロックという観点ではEl Ten Elevenに触れないわけにはいきません。

曲調や音色の選択はまったく異なります。Haniwaの曲ではベースもドラムも歪んでいて攻撃的、ビートは性急、音響は隙間なく濃密。El Ten Elevenの場合、ギターはクリーントーン、ビートはタイトでダンサブル、音と音の間には隙間があります。しかし動画を見ていただければわかるように、両者の曲を作るうえでの方法論は共通しています。El Ten Elevenはギターとドラムの二人組バンドですが、一本のダブルネックギター(正確には半分ベースだからダブルネックギター&ベース?)のフレーズをルーパーで重ね、リアルタイムで多重録音することによって、豊かなアンサンブルを生み出します。

元をただせば、フレーズの機械的なループを利用した音楽の可能性は現代音楽の領域で探られてきたものでした。スティーブ・ライヒのIt's Gonna Rain、テリー・ライリーのYou're Nogoodがその代表です。当時はテープによってアナログなループ機構を組んでいました。時代を下ると、ループはよりロックに近い領域で使われるようになります。ブライアン・イーノのAmbient 1: Music for Airports、そしてイーノ&フリップのEvening Starはポストロックに対する影響元として非常に重要です。ライヒやイーノと、今回紹介したHaniwaやEl Ten Elevenらの間に表面的な関連はほとんどありませんが、力強いコンセプトから来る楽曲のミニマル性という点において、エクスペリメンタルな音楽の流れを見ることができるのではないでしょうか。

7. betcha/A Life Form In Blue

すごい曲です。ぎくしゃくとしたつんのめるリズムで不協和音のなだれ込むイントロからしてただものではありません。その後に続く遠くから響く歌とコーラスのかかったギター、全体を包む雲のような音響からはドリームポップのような印象を受けます。ビートはマッドチェスターの系譜を感じるダンサブルなもの。ビートを支えるようにファンキーなギターのカッティングも聞こえます。最初のヴァースが終了するとボーカルは三連のリズムに変わります。そしてドラムの基本フレーズはそのままにタムが追加。タムだけボーカルの三連のリズムに合わせたフレーズなのでポリリズムになります。ベースの音は太く、2:30ごろからのフレーズにはうっすらとダブの感触があります。コードに関しては、ぼくはなにもわからない人なんですが、3:00ごろからのよじれた進行はなんでしょう? 誰か教えてください。この曲をひとことで表すなら「とんでもなくひねくれたサイケデリック・ポップ」とでもなるでしょうか。ひねくれていないところを探すのが難しいくらいです。

ひねくれたサイケデリック・ポップといえばXTC、そしてソフト・マシーンですね。A Life Form In Blueにはカンタベリー・ロック的な冗談と洗練の同居があります。ポストロックにおけるカンタベリー・ロックの影響でまず思い浮かぶのはThis Heatです。This Heatの音はひねくれているというより完全に異常なので置いておきますが、当時のラフ・トレードつながりでメイヨ・トンプソンはどうでしょう?

メイヨ・トンプソンひきいるThe Red Krayolaです。60年代にテキサスサイケの雄として名を馳せ、70年代から80年代にかけてラフ・トレードでプロデューサーとして活躍したりレーベルつながりの人脈で変な曲作ったりしつつ、90年代にはJohn McEntire、Jim O'Rourke、David Grubbsと一緒にポストロックらしきものをやっていました。メイヨ・トンプソンはなにもかも悪い冗談としか思えない曲をたくさん作っていましたが、このアルバムでは音楽的な洗練に対して寛容です。最初の一枚にどうぞ。

8. baboo/フォッサマグナ

Moonshakeはカンの曲からバンド名取ってるくせにポストパンク、とくにPublic Image.ltdの影響が強いポストロックバンドです。ともにざっくりエクスペリメンタル・ロックの系譜であるにも関わらず、わかりやすくポストパンクの影響が強いポストロックというのは意外とありません(This Heatに影響受けてそうなBrise-Gliceくらい?)。babooのフォッサマグナはそんなポストパンクの影響を色濃く感じさせるポストロックです。

曲の構成が非常に凝っています。ABABCA'DCC'Eとでもなるでしょうか。一貫してバンドサウンドを維持しつつもパートごとの差異が大きく、Happiness Is A Warm Gunのように複数の曲をつなぎ合わせたような曲想です。それぞれ見ていきましょう。

ABはポストパンクの色がとても強いパートです。のっけからファンクを勘違いした音を出しています。跳ね回る強力なドラム、うねるベースライン、打楽器的にリズムを刻む細いギターの音。個々の要素としてファンクらしさはあっても、全体としてはファンクに聞こえません。 サックスとギターの違いはありますが、調子はずれなリフにJames Chanceの影が見えます。ギターリフが引くと歌が入りますが、ここでもやはり意図的に外した音を出しています。ヴァースの終わり、初音ミクを飛び道具的に使う極端な跳躍が印象的。最初のヴァースが終わった後のBパートでも基本的なアイデアは変わりません。ここではベースラインもボーカルも勢いよく上がっては下がるぐねぐねとした感触があります。やはりヴァースの終わりに工夫があり、全音ずつ上がるボーカルのメロディ(ホールトーンスケール?)ではっとさせられます。そのあとのAへの戻り方はとてもクール。

ABABと繰り返してからCに向かいますが、ここで急制動をかけたかのような強引な展開を見せます。それまでのよじれた調性感とグルーヴから一転、ラウドなエレキギターに乗せて初音ミクは一緒に口ずさみたくなるような晴れやかだがどこか切ないメロディを歌い上げ、それまでよじれたグルーヴで曲を引っ張ってきたリズム隊もボーカルに寄り添うストレートなプレイに変わります。しかしこの安心感は1コーラスしか続きません。またしても急展開。左右にギターがパンしてA'パートへ。

A'はAを下へ移調したパートですが、ぼくはコードがなにもわからないので具体的なことはいえません。ごめんね。でも間奏のギターがすばらしいということはわかります。それと移調して下へ行くというのは珍しい気がします。Cに続いてA'もボーカルは1コーラスで飛ばしてDパートへ。狂った密度ですね。

Dは3拍子の短いパートです。前半は楽しげでリラックスした雰囲気ですが、後半で倍テンになりアッパーに。ベースの刻みを聴くとわかりやすいです。なんとドラムの裏にオープンハイハットまで入ります。そんなに盛り上げていいの?と不安になった直後、テープストップのエフェクトが入り、流れが断ち切られます。完全に人をおちょくっている雰囲気があっていい。

テープストップ/スタートのエフェクトを挟んでCへ戻ります。今度はしっかりと2コーラス聞かせてくれたあと、C→A'での展開をなぞると見せかけて、そのまま上へ転調。C'はいわゆる大サビ。ここまで意味不明な展開を繰り返た挙句、最後の最後、不意にこういうストレートなことやられると、ちょっと感動してしまいますね。

Eはアウトロです。ディレイのかかったエレキギターのクリーントーンが空間をただよい、初音ミクの逆再生ボーカルが聞こえます。ドラムなし、ベースなし。茫洋としていてアンビエント的、逆再生ボーカルをサイケに接続することもできます。ビートルズの時代から逆再生したらサイケになると決まっているのです。音は徐々に遠くなり、残響が余韻を深くするなか、逆再生ボーカルが前に出て曲が終わります。

そういうわけで、フォッサマグナは異なる意匠を凝らした複数のパートを複雑な構成でまとめ上げており、しかもそれを音のパレットの限られたバンドサウンドの中だけで行っているということを説明できたかなあと思います。なお「こういう構成的な複雑さはプログレの領分じゃない?」というツッコミもあろうとは思われますが「プログレと言うにはパンク要素が強すぎるからポストロックにしておくのが適当では?」ということで納得してください。

長くなってきたのでこの辺で終わります。(その3)もそのうち書きます。たぶん。

余談〈プログレッシブとエクスペリメンタルの違い〉

ぼくのなかではプログレッシブとエクスペリメンタルでは目指す方向性が異なっています。だからプログレッシブ・ロックとエクスペリメンタル・ロック(ポストロックはエクスペリメンタル・ロックに含まれます)は重なるところがありつつも、別のものとして存在しているのです。ぼくの勝手な理解であって世間的な理解とはズレがあると思いますが、説明しておきます。

プログレッシブな音楽は楽曲の構成的な複雑さに重きを置きます。難解なコード進行、複雑な転調、変拍子、凝った楽曲構成。しばしば楽曲が長大になるのもそういったものを重んじているからです。

エクスペリメンタルな音楽は和声、音響、音色など、音のパレットの拡張を重視します。ポストロックがしばしば電子音楽、ノイズ、アンビエントとの境界にあるのはこのためです。

厳密な分け方ではないですが、だいたいこんな感じです。わかってほしい。ムソルグスキーはプログレ、シェーンベルクはエクスペリメンタル、リストはどっちもですね。フリージャズはエクスペリメンタルだし、フュージョンはプログレっぽい。ちなみにぼくはクラシックもジャズもわかりません。わからないからこんな適当なことばかり言えるんだね。みんなもいろんな音楽を聴いてなにもわからなくなって適当なことを言い散らそう。終わります。

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