「あいだ」が生まれたときのはなし
はじめまして、鈴木健一(すずきけんいち)と申します。
普段は東京のIT企業で法人向けシステムソフトウェアのプロダクトデザインとプロダクトデザインディレクションを務めており、プライベートでは広島県の大崎下島の久比(くび)に位置する施設「あいだす」の運営と企画をしています。
まずはじめに、この記事では「あいだす」についての内容について触れていきたいと思いますので、もしご存じではない方は下記のリンクから是非サイトをご覧ください。
お疲れ様でした、いかがだったでしょうか?
今回は私が社会人で抱いたデザインに対する疑問と発見があいだすのキーワード「あいだ」とどのように関係してきたのかを語ってみたいと思います。
美大は毎日なにかがおこる場所
まずはじめに、私は武蔵野美術大学という大学でビジュアルコミュニケーションを中心としたデザインを勉強して2018年に卒業しました。
美術大学なので当然「つくる」ことに特化した学生が集まっており、常識に囚われない自由な発想が飛び交い、様々な制作があちこちで行われている環境の中にいました。
たとえば、キャンパスを歩けば広場で寸劇や撮影が行われていたり、芝の上でひたすら座禅瞑想をし続ける人(しかも毎日!)、食堂ではアイデアスケッチや企画の話が盛り上がっている集団、チェーンソーや何かを叩く音が聞こえる彫刻棟、目隠しをしてキャンパス内をそぞろ歩く奇妙な授業、他学科が小腹を満たしに賑わう試食会、マルジェラの如くゲリラ的に行われるファッションショーなど毎日何かしらのイベントがおきていて、驚きと発見に満ち溢れていました。
このように各々独自の世界観や気づきというのを表現しているのが美大の日常です。それを「つくる」ことを通して表現あるいは探求し続けているので、他者が「常識的に/普通は/正しくない/変だ」などといった指摘をするということはまずありません。
各学科によって手法や価値観は異なりますが、共通言語の「つくる」を手がかりに他学科間でも語らいあったり、全く異なった考え方に内的に解釈しているような状態でした。
私は美大という特殊な空間で繰り広げられる「つくる」を起点とした人や作品、素材との出会いによって視野が日々広がってゆく状態がとても心地よく、毎日開放的な気持ちになれたのを今でもよく覚えています。
努力では越えられない壁
大学を卒業後、私は前述したとおりIT企業にデザイナーとして勤めるようになりますが、元々広告系デザイナーを目指していたくらいで、むしろIT業界にはこれっぽっちも興味ありませんでした。
ではなぜITを選んだのか?
それは「自分の中の限界と理想に近づける確率が肌感で見えてしまった」から。
当時、AI技術や専門ソフトの進化などによるデザイン民主化の流れ、知の体系化、広告系に進む天才的な才能を持っている学生たちの影響から「努力では越えられない壁」を直に感じてしまったのです。
結局のところ妥協点や比較を通して選んだITだったわけで、今でも広告クリエイティブに対しての興味は失われてはいません。
しかし、この「負なるもの」を携えて仕事をすることで、IT業界に染まり切らない中立的な視点でデザインでき、自分のなかで広告とITというそれぞれの良いところ/悪いところを客観視することができ、それらを編み直して自分のなかにあるデザイン観をアップデートできたと今では思います。
いままで抱かなかった「問い」
とはいえ、新人として働くようになった当初は、飛び交う話はビジネス用語+エンジニア界隈の用語で、もはや助詞や接続詞しか聞き取れない状況。まるで国内留学状態で共通言語がありませんでした。
そしてようやくエンジニアと対等に話し合える頃にはふとした疑問を抱くようになります。
「デザイン」ってなんだ?
いままで当たり前すぎて問う必要もなかったものです。
デザインをしているときにかつて感じていた喜びや楽しみにある「うごめく何か」をグッと抑えながら仕事をしている自分に気づいたのがきっかけだったと思います。
また、この時期にちょうどあいだすメンバーである福崎とまりっぺさん(大橋まり)からあいだすの前身となるプロジェクトに誘われて、「もしかしたら何か見つかるかも」という期待と単純に面白そうという共感からプロジェクトに参画するかたちとなりました。
うごめく何かを探る
仕事で抑圧している「うごめく何か」を発見するために私が最初に行ったことは「読書」と「雑談」でした。
デザイン書にこだわらず哲学から感性工学まで、問いに対してひっかかる本は片っ端から読みました。プロジェクトメンバーとは考えを語ったり、聞いたりして長期にわたる雑談のなかで、私によってのみ見出される対象との対話による気づきが、まとまりある世界観として表出され、読み手に新しい意味や問いをもたらすデザインが学生時代にかつて感じていた開放的なデザインだったと気づくようになりました。
つまり、対象と私の中の経験を無視して、あらかじめ決まった意味や文脈の中でするデザインが苦しさの原因だったのです。
「ああそうか」と気づいたときには妙な開放感と当たり前だよな、という灯台下暗し的な感覚がありました。
このことに気づけなかったのはまさしく「間抜け」状態だったのかもしれませんね。
不在から生まれる連想と編集
さて長くなりましたが、ここからようやく私のなかで生まれた「あいだ」の話に移っていきたいと思います。
まずはじめに、さきほど上述した気づきというのは日本語にみられるような「述語中心」としたアプローチなどがヒントになっています。
述語中心とは、あえて主語・主役・主題なるものを登場させないことで事象に奥ゆかしさを与えたり、読み手の解釈の幅に広がりをもたせたり、別の可能性をもたらすようなことです。
たとえば小村雪岱の『青柳』は「予感」や「気配」を描ききることで連想される出来事が読み手の中でのびのびと物語り、読み手の中で完結されます。
絵の中央には楽器が置かれていますが、果たして演奏が行われた後なのか、それとも演奏が行われる前なのか。そして誰になにを演奏した(する)のでしょうか。どのような理由で演奏をした(する)のでしょうか。
物語る内容によっては緊張間ある静けさ、はたまた穏やかな静けさが画面いっぱいに感じます。
ここに主役は不在で、ただただ「静けさ」だけがあるのです。
ほかにも枯山水のように、本来中国の山水風景にある水をあえて取り除くことによって、むしろ水を強く想起するようなつくりが例として挙げられます。
石に水が打ちつけられる音、静かに揺蕩う波のイメージ———
これらは鑑賞者側の方でありありと山水風景が描かれ、枯山水はそのイメージを連想するように機能しているともいえます。
ここにもまた水という主役は不在で、砂利による「流れ」がただただあるのです。
このように読み手が対象から何を感受するのか、そしてどのようなイメージの拡がりを持たせて物語っていくのかという「不在から生まれる連想と編集」がこのプロジェクトでは重要になってくると考えるようになりました。
ここでいう連想と編集とは「主体の経験の履歴」と「対象の発する個性」が合わさってイメージとして想起される状態を「連想」、連想されたもの同士が紡がれて文脈や意味が立ち現れていくことが「編集」です。
私はこの「主体」と「対象」との対話で繰り広げられる連想と編集から抽象的な意味合いとして「あいだ」をピックアップし、このプロジェクトのキーになるものとして考えました。
そして複数のあいだがある状態としての「間s」で「aidas」という名称にし、初期ロゴを完成させました。
のちに柔らかさを持たせるために名称を平仮名にして今のロゴが生まれました。
このコンセプトは二人の中でも受け入れられ、そして「久比」という環境と「まめな」という文化が新しい「あいだ」を生み出して「あるものからつくる」という今の「かたち」になりました。
さいごに
改めて振り返ると、普段の仕事の中で抱いていた違和感には「プロダクト/ユーザー」などといったような対象と設計をする私との間に「普通この画面では〜/ペルソナ的には〜」など明確な定義のなかでこねくり回して課題解決していました。
これに対して美大で繰り広げられていたのは、対象と主体との定義を外していく動きが積極的につくられるなかで、身体を使って得た経験や気づきを何度も定義を外したあいだに放り込んで、新しい意味や文脈として再構築できる状態だったと思います。
さいごに、私たちは久比を中心に「あるものからつくる」ことで「あいだ」がたくさん生まれる場にしようと日々活動しています。
また、ゆくゆくは久比だけではないところでもあいだすと関われるようなことも考えていきたいと個人的に思っています。
ぜひ興味ある方は一度あいだすに来てください!
…と言いたいところですが、「遠くていけない」「こんなご時世だし」と感じていらっしゃる方もいると思います。
「面白そうだから何かやりたい!」「実はこんなこと実験してみたい!」「東京からリモートでできることをしてみたい!」など内側に抱いている思いや感想などでも構いません。どうぞご気軽に連絡をいただけたらと思います。
これから始まるあいだすをどうかよろしくお願いします。
ここまで読んでくださりありがとうございました!
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