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先人に学ぶ組織の在り方

年末に心理的安全性について色々と文献を漁っていく中(欧米事例も大事ですが、日本の先人がどう設計したか)で考えてみましたのでアウトプット含めた共有をここでも。
困難や課題に挑むにあたっては、個人の努力が必須なのは言わずもがなで、組織/周囲がどう評価するかってのが大きな要素だと前提を置き、薩摩藩と備前鍋島藩を事例としてみたのですが、突き詰めると[定量評価に直結しない人の評価][組織としての基盤力]、そして[危機感]が組織活性化には必要なのかなと思いました。

<薩摩藩;人事評価基準>
・昨今の定量的数値での判断と、そこから漏れる人の評価判断への一つの解になる気がします。
 └生産性/アウトプットなどの経済価値で評価して序列化する社会(=低生産性、アウトプットを出せない人を排除する社会)(評価項目)
 1; 何かに挑戦し、成功した者
 2; 何かに挑戦し、失敗した者
 3; 自ら挑戦しなかったが、挑戦者の手助けをした者
 4; 何もしなかった者
 5; 何もせず批判だけしている者
(着目点)
・特に[3]の部分は重要で、[1]や[2]の高生産性/アウトプット高い人を評価する重要性が顕れている。
・また、[4]はMgrが管理できる存在で、[5]も[1][2]の認知バイアスを取り除く存在足りうるとみられます。
・現代に置換すると下記のような分類でしょうか、縁の下の力持ちは大事。
 └A 売上/利益の拡大が担務
 └B 会社全体の課題解決が担務
 └C 会社全体が活動しやすい環境の保守が担務

<備前鍋島藩>
・財政破綻状況下で藩主の座を継いだ鍋島直正によるものが太宗で、[人材育成][人材登用][合議制]の流れが大きいと思われます。
 └旧態依然のシステムを変えて人材登用の素地を作り、藩校育ちの優秀な人材を配し、そこでの議論を合議制により取り入れて執政する。
・ここからは教育とロールモデル設定の重要性が見て取れようかと。
(大きい流れ)
・1835年の佐賀城火災を契機に直正及び古賀穀堂のコンビで行財政改革を実行し、明治維新の中心となるまで国力を回復させた
 └人事刷新で改革派を登用し、行財政/教育の改革を順次すすめる(経費削減+殖産興業の促進)
 └藩の役人の30%を解いて、身分に関係ない有能な人材の採用を実行
  *世襲制の役職を廃止、藩校で育った有能な人材を抜擢
・それに先立って藩校;弘道館を移転/拡張して改革も実行
 └藩士の子弟全員に義務教育として教育を施して底力を向上(信賞必罰)
 └医療学校の設置と医師の育成(蘭学寮や医学館)

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