フルリモートで新入社員研修を受けてみた話


「大事なことは会って話すのが一番」という考え方は、世界的なコロナウイルスの流行以前から一般的だったように思う。この論理に基づくのであれば新入社員研修も対面が理想だったはずだ。

しかし、私は約2か月フルリモートですべての研修を受け、現在は配属先のチームにいる。そして私はこのフルリモート研修を「成功だった」と思っている。

今回は、フルリモートで研修を受けた体験について、そしてその成功に必要だったものについての記録をしたいと思う。

※なお、弊社でフルリモート研修を実施するにあたり主に利用したツールは以下。
Zoom(通話ツール/全社フルリモート化きっかけで導入・一部メンバー有料会員付与)
Slack(テキストコミュニケーションツール/全社員共通利用・事務連絡から雑談まで)
esa(記事蓄積ツール/全社員共通利用・日報や議事録などが残る)


不便を解消しながら進められたことこそが価値


フルリモート研修全体を通しての感想を一言で言うなら、「不便を感じる部分もあったが、それを乗り越えて研修完了までを達成できてよかった」だ。

「通勤が要らない」や「研修の様子を手軽に録画できるので質の高い復習がしやすい」といった、いわゆる“リモートならではの利点”に気づいたということは、この「フルリモート研修を受けた」という体験の価値の核ではないように感じる。

それはなぜか。
研修は無事フルリモートのまま終えることができたが、しかし、しっかりと「不便だ」と感じるシーンはたくさんあったからだ。

つまり、これはリモートでの研修は全くうまくいきませんでした~完~という話ではないが一方で、“リモートならではの利点”があったから研修がうまくいきました!ヤッター!というほど単純な話でもない。

そこそこ不便だったフルリモート研修は、参加者全員が主体的に改善に取り組んだからこそ「普通」に受けられるものになった、という話だ。


実際にどんな不便があったか

Zoomなどのオンラインコミュニケーションツールを大人数で使うことに対しての「雑談が生まれにくい」「クロストークが難しい」などといった批判はいろいろな場所でされてきているかと思うので、ここでは割愛する。
以下では、実際にzoom上で研修を行っていくにあたって見つかったより具体的な問題点と、それにどう対処したかについて記述したい。

見つかった問題点は、大きく分けて

① Zoom上でのリアクションは思ったより伝わらない
② 込み入った話し合いの難易度が高い

の2点だった。

① Zoom上でのリアクションは思ったより伝わらない


まず私たちが最初にぶち当たったのは、「Zoom上でのリアクションをどうするか」という課題だった。

研修には様々な形態のものが用意されているにしろ、やはり主となるのは講師が話し、新卒がそれを聴くという講義形式の研修だ。それは、会社の沿革の説明だったり、課題ワークのためのオリエンテーションだったりする。
講義形式の研修では、「話す側」と「それを聴く側」が明確に分かれている。
つまり、講師が受講者である私たち新卒に一方的に話しかける構図が生まれやすいのだ。

これをリモートで行う上での問題点は、「講師からは受講者の反応が見えづらい」ということだった。

講師側としては、講義を進めていくうえで「今の説明で理解できたか」「何か質問はないか」は絶対に聞いておきたいポイントだろう。
これが対面の講義であれば、受講者が静かに聴いている場合でも、その表情やうなずく・首をかしげるなどの仕草から「理解しているかどうか」を講師側で推し量ることができる。
しかしリモートの場合、カメラの向こうにいる受講者一人ひとりの表情を読むというのは、講師にとってはなかなかの負担だ。

そこで大事になってくるのは、受講者側からどうリアクションするか、という部分である。

ちなみに、「他の受講者の反応がわからない」というのは、受講者の一人としてもとても不便だ。ほかの受講者の雰囲気がわからないがゆえに、わかっていないのは自分だけではないのか、これは本当に質問していいのか、などという遠慮が生まれ、するべき質問を飲み込んでしまう可能性があるからだ。

以上の理由から、私たちは講義中の反応を講師向け・受講者同士向けに可視化ないしは言語化する必要があった。
そこで私たちが改善施策として導入したのは主に以下2つである。

(1)「ガヤ」と名付けたSlack上のスレッド内に、講義を受けて思ったこと・気になったことなどを書き連ねる(受講者同士の心の声で会話するイメージ)
(2)講師からの問いかけには、できるだけ声で応えるようにする

「ガヤ」に関しては、もともと社内にあった文化であったことは申し添えておきたい。聞くところによると、昨年など対面で研修を行っていた際にも「ガヤ」は使われていたようだ。

ガヤはどちらかと言うと受講者同士の思考共有ができたという意味で非常に効果があった。ただ感想を書き出す者、気づいたことを「これってこうかな?」と書き込む者、講義内容のサマリを書く者など使い方は人によって様々だったが、Slack特有のリアクション等を駆使しつつ、互いに学びを深め合うことができたのだ。

もちろん講師も一旦「わからないところはない?」と聞くタイミングでガヤスレッドを遡れば、講義を聴いていた側がどんなことを考えていたかがしっかり分かる。

もとは「見えづらい反応を相手に伝えるため」の改善施策だったが、結果、講義が一方通行にならないというより良い効果も得られた。その意味で非常に良い取り組みだったと思う。

実際の使い方に関しては以下参照。▼
https://media.feedforce.jp/n/n9ea1e3b42fbb

また、講師からの問いかけに対する返答はできるだけ音声で返すことにした。
「ここまで大丈夫?」の質問に対して、Zoomのリアクション機能(拍手かグッドマークが表示できる)や実際のボディーランゲージ(腕で大きな丸を作るなど)も試したが、これはそもそも講師への甘えである上に確認に時間がかかる。
講師に受講者一人ひとりがどう反応しているかを見て回ってもらうより、「大丈夫です」「あ、質問したいです」と声に出すほうが早い。

講義の一方通行化は、講師と受講者両方が歩み寄ろうとすることで解消できる。
そして結局、口頭でのやりとりが一番手軽で早いのだ。

② 込み入った話し合いの難易度が高い


これはなかなか驚きだった。司会がいて意見を出す人間たちがいてという議論の“場”くらいなら、オンラインミーティングですぐ再現できると思っていたからだ。
しかし、大人数(同期8人)でそれをしようとする際にはたびたび、議論が全く立ち行かなくなるという事象が発生したのである。

原因としては、「見ているものがバラバラである」ということが挙げられると思っている。
見ているもの、という言葉には少し概念的なものも含む。簡単に言うと「どう議論が進んできたか」と「議論の向かうべき先はどこか(=目的)」ということだ。

これに対する解決策として、私たちは以下2点の工夫を施した。

(1)議事録は常に画面共有をして議論に参加する全員が見られるようにする
(2)少し多いと感じるくらいの頻度で軌道修正的確認をする

議事録を常時画面共有するのには、「見ているもの」をできるだけ等しくするためという狙いがあった。
オフラインで議論をする際には、黒板やホワイトボードなどを共有画面として用いるのが一般的ではないだろうか。書記を任される人がいて、大きな黒板にみんなの案を書き出し、要らない案は消して採用された案を丸で囲む……というふうな光景は誰の記憶にもあるはずだ。

これは簡単な作業に見えるがとても大事なことだと思う。
たとえ参加者が大人数であっても、議論の軌跡をリアルタイムで反映する黒板を中心に意見交換することで、「どう議論が進んできたか」「この先どこに進むべきか」という思考の足並みがある程度揃うからだ。

つまりここで言う”黒板”が、議事録の画面共有ということになる。

私たちは、議事録ツールとしては主にesaを用いた。同時に複数人が編集できる点・マークダウンを用いた意見の階層化ができる点がオンラインミーティングに適している部分だったと思っている。
大事なのは、意見や案だけを書き残して満足しないこと。その意見の裏にどういう根拠があるかなど、議論のうねりの記録は詳細であればあるほどいい。

例)案に関連して出た意見まで書き残した議事録▼

画像1

※25分と予定されていた発表時間を延長するかどうかについての議論。
懸念ポイントなどを余さず記録したため、優先順位を考えるのに役立った。


また、高頻度で立ち止まって議論の軌道を確認する、ということも、議事録を共有することと同じくらい大事だった。
目的は議事録の共有と同じく「思考の足並みをそろえる」ことだ。「今~~という話から、○○が決まった、って流れであってる?」「今考えるべきは△△と××だったよね」といったように、どんな流れで現在に至ったか、そもそもの議論の目的を見失っていないかを意識的に確認する。しつこいくらいに。
しつこいくらいがちょうどいいのだ。そうしないとうまくいかなかった。

議論のサビである「発散」と「収束」は、土台である「共有」がしっかりしていてこそ正常に稼働する。考えてみれば当然のことだ。
リモートでトライしたことで、改めて議論における必需品に気づいたという感覚が強い。

さいごに


この体験の意義は、決して、「ガヤが有用なことに気づいた」ことや「議事録の共有は絶対必要なことに気づいた」ことだけにとどまらないと思っている。
むしろそういった具体的な取り組みは脇役であって、主役としての本質はあくまで「研修環境の改善のために現状を見つめなおし、良い点と問題点を洗い出し、次のTRYを決めてより良いものを追及していく、というPDCAを同期内でたくさん回した」という点にあるのではないだろうか。

そしてこれこそが、フルリモート研修を成功させるうえで必要だったものだと私が考えているものだ。

実を言うと、このPDCAの回し方はフルリモート研修の最初に受けた講義で学んだKPTの考え方に基づいている。
つまり卵が先か鶏が先か的な話になるが、このフルリモート研修の改善活動そのものまで含めて研修のプログラムだったということだ。

本当によくできた研修だと思う。すごい。完敗だ(何に?)。
その意味も込めて、私の受けたフルリモート研修は大成功だったと言いたい。

今よりもっと良く、の成功体験を得られたことはきっとすごく大きいことだ。これを忘れずに、今後の社会人生活も「もっと良く」の考え方で改善していきたいと考えている。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?