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手話通訳者になりたいのか?というギモン。

手話のはじまりは単純にろう者と「手話で話がしたい」ただそれだけだった。
通訳を介さずに、筆談でもなく、目と目をあわせてコミュニケーションがとれたらどれだけスムーズな話が広がるかわくわくした。

だから、手話の単語も覚え、地域の手話講習会にも真面目に通った。
中級クラスがおわり、上級クラスの試験にも受かり、上級クラスを修了すると、そこには養成クラスが用意されていた。

そう、「手話通訳者」の養成クラス。つまり手話通訳者を目指すクラス。

はたして、わたしは手話通訳者になりたいのだろうか?という疑問がわく。

手話がスキで、手話を学びたいと思って、前進していったら、その先には手話通訳者がゴールになっていた。手話通訳者を目指せという圧がつらい。

手話通訳者を目指さないんなら中級クラスで講習会をやめたほうが良かったのだろうか。

でもまだまだ技術は磨きたかったし、新しい知識を学んで手話をもっともっと学びたいと思った。
だから上級クラスにすすんだ。
ろう者の先生からの指導も刺激的だったし、少しずつ自分が上達するのを感じる楽しさもあった。

ろう協会の主催するバスツアーに参加して、交流するのも面白かったし、手話で話ができるからこそのいろいろな発見もあった。

だったら、わたしの当初の目標は達成されたのだろうか?

手話通訳者を目指すには覚悟が必要。
その覚悟が、最近勉強をするにつれてどんどん意欲が削がれていく。

試験対策のために手話を覚え、手話技術を学ぶことにどんどん萎えていく。

統一試験に受かるための対策ばかりの講義内容で、本当の実践の場で通用するような技術ではなく、試験で高得点がとれるためのテクニックを指導される。

だから、最近、手話の学びが楽しくない。

試験のための手話になっている気がしてならない。

これはわたしは求めていたことなのだろうか。

手話通訳者の統一試験は12月2日にある。
試験は当然、受けるものという圧が講師からひしひしと伝わってくるのもつらい。

自分が覚悟を決めて受けたいタイミングで受けたいのに、
「養成クラスに入っている=統一試験は受けるもの」
という公式が成り立っている。

養成クラスで、場面通訳の過去問題をビシバシ教えられて、指導される。
それは、あくまでも試験に合格するため。
だからきっと、実践で通用できるような技術は二の次、というかたぶん身についてない。
それが自分でもわかるから最近、手話の学びが虚しいのだ。

わたしは、統一試験のために手話を学びたいんじゃないんだ。

ろう者と話すために手話をもっともっと学び続けたいのだ。

「試験」のための手話ではなく生きた手話を学びたいのだ。

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