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高学歴な彼の末路

中央大学卒。彼の偏差値は上位層。
新卒で上場企業の関連会社へ就職した。
大学まではレールの上を歩けばよかった。
親が引いてくれたレールの上はいつだって「答え」があった。
親がひいてくれたレールの上にのって中学受験をして中高一貫の私立学校に進学し、ストレートで中央大学に合格した。

受験勉強は「答え」があるからある意味、彼の得意分野だった。
数学の答えは数式が導き出してくれる。
英単語も歴史の年号も暗記すれば良い。
ただただ教科書を暗記すればだいたい「答え」がわかる。

順当にすすんでいった彼の未来は、順当に行くはずのものだと思っていた。
でも、彼が躓いたのは就職活動でのこと。
そこには「答え」がなかった。

就職活動ではエントリーシートはほぼ通った。
エントリーシートの書き方は就活本が教えてくれた。
だが、ひとたび面接やディスカッションなどの場になると、彼は途端に立ち行かなくなった。
面接の場での予期しない質問への答えがわからない。
グループディスカッションではだれが何を発言するのか、その発言についてどのように自分の意見を伝えるのか、何をどう話せばいいのか、彼にはさっぱり「答え」がわからなかった。

ディスカッションとはキャッチボールだ。
相手の意見を聞いて、自分の意見を述べる。
コミュニケーションの基本だ。
彼にはその基本が理解できなかった。
ただマシンガントークのように自分の持論を話しまくった。
周囲の冷たい視線を感じることもなく、空気を読むことはできなかった。
臨機応変に柔軟性をもって対応することが彼にはできなかった。

就職活動は全滅。

何十社面接を受けても、お祈りメールが続いた。
卒業間際になってもついにどこからも内定をもらえなかった。
彼の父親は自分のコネを使うことにした。
彼の父親はとある上場企業の部長だった。
子会社には顔がきく。
父親のコネを使って、とある上場企業の関連会社に滑り込んだ。
入社できてほっとしたのもつかの間、彼には茨の道となった。
彼は会社ではうまく立ち回ることができなかった。

律儀、真面目。
彼のことを多くはそう形容するだろう。
自分で考えて行動することができず、まず質問する。
何から何まで質問する。
質問して「答え」を求める。
「答え」がでると彼は安心して前へすすめる。

彼は陰で質問魔と揶揄されていた。
質問して確認しないと前へ進めない。
徐々にまわりは彼の質問に鬱陶しさを感じた。
質問して「答え」を得ないと何も仕事を進められない彼に対しての評価は急下降で落ちていった。
彼に対する評価とともに会社では彼の居場所はなくなっていった。

冷たい視線を浴びても陰口をたたかれても、彼は黙々と出社し、言われたこと「だけ」をした。
彼の居場所はだんだんと窓際に追いやられていった。
会社としても彼を退職に追い込みたかったが、コネ入社の手前、閑職部署に異動させるか窓際においやることしかできなかった。
それでもついに、彼は肩叩きにあって、会社を辞めることになった。

退職後、体調を崩し、病院に通院した彼は「発達障害」の診断を受けた。

律儀さと真面目さは彼にとって弱点だったのだろうか。
律儀さと真面目さは日本人の美徳ではなかったのか。
でも社会は彼の律儀さと真面目さを疎ましがった。

彼はただ答えを求めたかった。

答えがあれば安心して律儀に真面目にできるのに。

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