手話通訳者全国統一試験「手話通訳活動の歴史について」2021過去問⑩解説〜手話通訳の理念〜
2021年度手話通訳者全国統一試験の過去問について、参考文献をもとに独自に解説をまとめたものです。
問10.聴覚障害者活動の歴史について
問題解説
(3)が正しい。手話通訳活動の歴史、手話サークル「みみずく会」の結成にあたっての理念を理解しておきたい。
みみずく会の結成
戦後発足した全日本ろうあ連盟や各地のろうあ団体は、ろうあ者の社会参加と、聴覚障害や手話の理解を広める取り組みを行ってきた。そのなかで、ろうあ者の身近にいて手話を理解し手話を使う健聴者が、1950〜1960年代、少しずつ増えてきた。当時は、ろうあ者から 個人的に手話を学んだり、数人程度集まって学習会を開くという状況であった。そのような時代背景のなかで、1963(昭和38)年、京都市で京都市手話学習会「みみずく」(略称「みみずく会」)が結成された。きっかけは、入院したろうあ者が医師や看護師と十分コミュニケーションがとれない様子をみた看護助手が「通じたい」「話したい」と思い、彼女の通っていた夜間高校の仲間に呼びかけ、結成されたのが「みみずく会」であった。特徴的なのは、単なる手話の学習サークルでなく、「手話を学んで、ろうあ者の良き友となり、ともに手をつないで差別や偏見のない社会を実現するために努力すること。また、そのために必要な学習や事業を行うこと」と会則に活動の目的が掲げられていたことである。一人ひとりのろうあ者が多くの困難を抱えて暮らしていることを理解、共感し、ともに問題を解決していかなければならないことを「みみずく会」の会員は認識していたからである。
伊東 雋祐氏の論文「通訳論」
「みみずく会」では、1967(昭和42)年「みみずく会手話通訳団」を結成し、手話通訳活動を行うとともに手話通訳に関する問題や課題の検討を行い、1968昭和43)年、第1回全国手話通訳者会議で発表された伊東 雋祐氏の論文「通訳論」としてまとめられた。これらの取り組みが後に1970年代から始まる手話通訳事業(手話奉仕員養成事業、手話通訳設置事業、手話奉仕員派遣事業等)や、手話通訳者の福祉事務所への雇用・配置、その後の手話通訳活動の基礎となった。
伊東 雋祐氏の論文「通訳論」では、以下のような手話通訳者像が示された。
安藤・高田論文「日本における手話通訳の歴史と理念」
1979(昭和54)年に開催された第8回世界ろう者会議(ブルガリア)で安藤・高田論文「日本における手話通訳の歴史と理念」が発表された。聴覚障害者(安藤豊喜・高田英一)の立場から述べられ、手話や手話通訳、ろう運動と手話通訳制度の歴史と発展を整理するとともに、「手話通訳者は、ろうあ者の社会的自由の獲得の援助者であり、手話通訳技術者である前に社会活動家であれ」と主張された。
「手話サークルに関する指針」
「みみずく会」の結成後、全国各地に手話サークルが広がっていったが、一方でろうあ者が参加しない手話サークルやカルチャーセンターのような手話サークルも広がっていった。つまり、みみずく会の会則で掲げられた目的や活動とは違った方向で活動する手話サークルがみられるようになった。全日本ろうあ連盟や都道府県のろうあ団体はこれを憂慮し、1978(昭和53)年に「手話サークルに対する指導方針」、1991(平成3)年に「手話サークルに関する指針」を出した。要約すると、手話サークルは、手話学習をとおして、手話の普及、ろうあ者の理解と市民への理解の普及、生活や権利の制約の解消と目的として、自主的・民主的な組織運営をし、全国および地域のろうあ団体・全通研と連携をとり、ともに活動していくということになる。
(参考図書)手話の筆記試験対策テキスト,全国手話研修センター
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?