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始まる頃には夜に暮れる

日記形式でnoteをはじめてみた理由、まあ1番は「酔った勢いで承認欲求が爆発した」ことなんですが。
「作家になりたい過去があったものの、あまりに書きはじめまでが遅く遅筆で、自分で書いている途中に作品の賞味期限が切れる感覚があるためあきらめた」ことがあります。
世の中の絵描き字書きを見ていると、もう添削なんか一切してないまさに「原稿」をWebに毎日のように放流して、恥ずかしくなったら消す、というめちゃくちゃなことをしていてビビる。
デジタルタトゥーって怖いし、自分の書いたものなんて大概あとから読んだら死にたくなるものなのではないのか。
ただ「なるほど、これが継続は力なりということか」という納得は以前からしていて、なにかしらで継続して文を書いてみたいなあ、140字以上で。と感じていた。
日記という形式も以前から候補にはあった。ためしに個人的につけてみたこともあるが、あまりに代わり映えの無い日々を過ごしているせいで一瞬で書くことがなくなり、世界一つまらないぼくのなつやすみの絵日記みたいになった。

これ。一日を無為に過ごすとぼくくんがこうなる。

ぼくくんはまだ一日を素晴らしいととらえているためいいと言える。しかし米津玄師のblacksheepは間違っていないのだな。素晴らしい一日とはぼくくんですらこの景色なのだ。
わたしは「湿度」「気温」などに言及して最悪……と言い続けるだけの伊武深司天気予報になっていた。

しかしそんなわたしにも「強制引越し強制一人暮らしフラグ」というものが立ちまして、しばらくは手続きに次ぐ手続きで日記どころではなかったのですが、あとは当日を待つのみ、となってくるといい感じに心に隙間が産まれました。そこに「マジで引越ししたくない」「残りの荷造りどうすんねん」「一人暮らし無理」などマイナスな感情がなだれ込み、気づけば酒に薬にてんやわんやで脳みそをダダ溶かして居ました。

その勢いに背中を押されて上げたのが1番最初の怪文書になります。今に比べるとかなり支離滅裂ですね。感情的な表現が多い。

noteというものの文化というか空気感をあまり分かってないんですが、こんなぽっと出の面白みのない記事でも案外スキを押されます。新人の記事にスキを押すとなにかの実績が解除されたりするんでしょうか。
ありがたいですが少し怖いですね。

何事も完璧なまでに三日坊主だったわたしが、5日間ほど連続で日記を書いているそうです。ぼくなつ3以降方式で一日の本数制限はありません。ただ記憶力に乏しいため思いついた瞬間に書かないと詰みます。ここもぼくなつですね。(伝わらない)

継続は力なり、はまだあまり実感出来ていませんが、もう少し継続してみたいと思うのでよろしくお願いします。

ただこの引越しがひと段落ついてしまうとネタが無くなるのでは?という不安が付きまとっています。引越し終わっただけでネタが尽きる日記なんかこの世にあるかよ。
そうなったらぼくくんになります。

すばらしいいちにち。なんにもありはしない濁った澱。

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