見出し画像

なんのために勉強するのか

女医のすずかと申します。

現在子育て中で、中3と小5の子供がおります。
上の子は中学受験をして、中高一貫の私立中学に通っています。下の子は公立小学校です。

もともと幼児教育に興味があり、Twitterやブログでも、幼児教育から中学受験のこと、教育に関することなどを発信しています。

今回は、オンラインで中学準備講座を行った時のお話です。


子供たちにアンケート調査を行って

2月~3月にかけて、4月から中学生になる小学校6年生の子供たちに、中学準備講座のオンライン授業を行いました。

授業内容の難しさ・分かりにくくなかったか・宿題の量などのアンケートを、途中で1度取りました。

自由記載の欄に、「なぜ勉強しなくてはいけないのかが分からない」ということが書いてありました。

その子は授業はちゃんと聞いてくれていて、宿題もやってくれている、つまずいているところもありましたが、個別に指導をすることでその単元を克服することも出来ました。

やる気があってぐいぐい来る感じの子でないのは分かっていましたが、オンライン授業を受けると決めたのも本人でしたので、「勉強すること」自体に疑問を持っていたのか・・・と、ちょっと不思議な感じがしました。

そこで、授業の時間を少し取って、「なぜ勉強しなくてはいけないのか」について、全員で話をする時間を取ってみようと思い立ちました。

2週間ほど前から、「なぜ勉強しなくてはいけないのかというテーマで話をしたいので、それぞれ自分なりの考えをまとめておいてほしい。それを、ちょっと恥ずかしいかもしれないけど、お互いに話してみよう。同じ年の子がどんな考えを持っているか、聴く機会もなかなかないと思うのでぜひ」というアナウンスをしました。

そして、私も自分なりに考えてみることにしました。

もちろん、自分の中にある程度の答えは持っていますし、自分の子供にも折々にそれは伝えてきました。

ですが、こういう機会を設けて、短時間で、子供に響くような言葉で、と考えると、なかなか難しいものだなと感じました。


なぜ勉強しなくてはいけないのか

小学校6年生の子供たちの意見

□将来、仕事や生活で困らないようにするため
□将来の自分が困らないように、そして好きなことが出来るようにするため
□将来のために必要。語彙力や計算力は身になるし、必要。大人になって困らないように
□勉強しておかないと、色々考えたり、アイデアを出したり、応用がきかないから
□選べる人生にするため。好きな仕事に就けるように
□自分のため

このような意見が出ました。

将来のために勉強しなくてはいけないことは、みんな分かっているようですね。6年生ですし、学校でも「将来の夢」や「どんな大人になりたいか」などの作文も書いてきていますし、「将来のために必要」というのが分かっているのは当然と言えば当然です。

ですが感じたのは、「困らないようにするため」という言葉がたくさん出てきたことです。

「ちゃんと勉強できないと、将来困ることになるよ!」

これはきっと、大人の言葉なのでしょう。

「将来のため」とは言っていますが、6年生の子供が「将来」について、そこまで具体的に想像するのは難しいと思います。

なぜなら、「将来のために勉強は大切っていうことだね。じゃあ、将来の夢ってなにかな?」ってきいてみたところ、ほとんどの子が「まだない」でした。

小学校で「将来の夢」について発表などしてきているにもかかわらず、です。

小学校での発表は、しなくてはいけないから無理矢理なりたいものをひねり出しているだけで、本当にこれになりたい!というのは、決まっていないのが大半なんだな・・・と、改めて感じました。

将来のなりたい自分が明確になっていないにもかかわらず、勉強しなくて「困った事態」になっている自分なんて、具体的にわかるわけがありません。

実際、「困るって、どんなことだろう?」ときいてみると、「成績が良くないとか・・・」「大学に行けないとか・・・」と首をひねっている感じでした。

勉強ができないとなにが困るのか。

これは大人になった私たちは具体例を挙げてたくさん説明することが出来ると思います。

ですが、勉強について「出来ないと困る」というマイナスイメージを持ってほしくはなかったので、私は「なぜ必要なのか」の方に話を持っていきました。


小学校で習う教科 必要でないものもある?

小学校で学ぶ教科といえば、
算数、国語、理科、社会、英語、音楽、保健体育、図工、道徳・・・ こんなところでしょうか。

「この中で、これ必要なの?って思う教科って、ある? 教科じゃなくても、この知識いるの?って思うこととか」ときいてみました。

□歴史・・・なんでわざわざ過去のことについて勉強しなきゃいけないのか分からない
□音楽・・・楽譜の読み方とか。その道に進む人だけしかいらないんじゃないか
□国語・・・漢字は必要かもしれないけど、それを勉強したら文章は読めるから
□算数・・・計算機で計算すればいい。数学とか、大人になって使うの?
□英語・・・いらないわけじゃないけど、翻訳アプリとかあるし・・・
□必要ないものはないと思う

教科の好き嫌いはあるのでしょうが、確かに、とも思える意見ですね。

「必要ないものはないと思う」というのは、とても優等生な回答ですね。 

ただ残念ながら、本音を言ってくれなかっただけなのかな・・・という印象でした。 本当にそう考えていたのであれば、ごめんなさい。 それはとても素晴らしいことだと思います。


それでは、子供たちに私の考えを聞いてもらうことにします。

途中途中で質問をしながら、意見を求めながら、話を進めていきました。

一応調べて話したつもりですが、史実と異なっている部分もあるかもしれません。


なんのために勉強するのか 大人としてみんなに話したいこと

みんなが意見を言ってくれたこと、

将来好きなことが出来るようにするため
好きな仕事に就くため
語彙力や計算力は身になるから
選べる人生にするため
自分のため

こういったことはもちろん、他にも

知識を得るため
いい学校に行くため
いい仕事に就くため
いい大人になるために勉強しなくてはいけない

こういう事も、よく大人に言われたりするよね。

これって、実はすべて正しいんだよね。でも、それじゃ納得いかないのが子供だったりする。大人はそう言ってるけど、ほんとに必要なのか、自分で体験したことはないからね。みんなも正直、こんなことを言われても、本心から納得はしてないんじゃないかな?

じゃあ、いくつか順を追って考えてみよう。

まず、勉強する、学びというものは、新しい知識を得るためにすることだね。
小学校で学ぶことで、必要ないんじゃないかなって思うこと、さっきみんなに聞いたよね。
計算機もあるし、漢字だって歴史だって、調べればすぐにわかる。翻訳アプリもあるし、「ググる」って言葉があるくらい、今はネットで調べればほとんどのことが分かっちゃう時代だよね。

それは確かにそうだけど、そこまでアプリやgoogle先生に頼ってていいのかな?

小さいところで言ったら、
じゃあ、計算機が手元にない時、どうするの?
アプリが手元にないときはどうするの?
ネット環境がなかったらどうするの?

そういう時って、結局自分の頭の中にある知識でなんとかしないといけない。

自分が持っている知識というものは、自分だけの財産。
そして、頭の中にあるそれは、誰にも奪う事の出来ないもの。
とてもとても貴重なものだって、わかるかな?

例えば、毎日サッカーの練習をしている子は、どんどん技術を身に着けていく。
全然サッカーをやったことのない子は、体育の授業や休み時間にサッカーをやっても、その子には勝てない。

毎日ピアノの練習をして、とても上手に弾けるようになった子。その技術はその子だけのもの。

習字や絵を描くことだってそう。 たくさん時間をかけて練習をして、だんだん上手になっていくよね。それはその子だけの技術。

知識もそれと同じ。
学んで得たものというのは、その人だけのもの。
自分だけの財産なんだよ。

それから・・・今、みんなはまだ義務教育の期間にいるね。
ちなみにだけど、大人は小学生のことをなんて呼んでるか、知ってるよね?そう、児童、ね。
中学生になったら、みんなはなんて呼ばれるかな? 生徒。 高校生も一緒。
じゃあ、大学生とか専門学校とかに行ってる人は、なんて呼ばれるか分かる? 学生。
(学校教育法以外の場面では、この分類は異なります)

この違いはなんだと思う?
児童・生徒・学生、みんな学校で勉強をしている人のことだよね。違いは年齢。他になにか違いがあるのかな?

高校までは、教科書というのは、文部科学省が定めた学習指導要領に基づいて、検定済みのものを使うことになってる。
学問の世界で、これは間違いないとされていることを精選して載せている。信じて勉強すればいい。
(歴史などは国によって事実が捻じ曲げられ・・・など、言いだしたらキリがないこともあるが、ここではあえて触れず)

でも学問をもっと深く学ぶために通う大学になると、検定された教科書というものは使わない。教える先生によって使う教材も違うし、もしかしたら間違っていることかもしれない、今主流じゃない考えのことかもしれない。
習ったことがすべて本当だという常識が通用しなくなる世界になる。
今正しいと言われていることが、数年後には全く正反対だった、なんてことは、例えば医学の世界でもよくあること。
でも、実は世の中にあふれてる情報はほとんどがそう。

情報の授業とかでも習ったと思うけど、特にインターネットの世界は、なにが本当か分からない。むしろ、嘘がほとんどだったりする。
じゃあ、どうやって本物を見分けるのか?
そのためには、「これは間違いない」という基礎知識が必要だってことが分かるよね。
それを学んでるのが、中学・高校までだということ。

また少し話が変わるけど。
天動説と地動説の話って、知ってるよね。
天動説は、地球が中心で、その周りを太陽を含む天体が回っているという考え方。これは2世紀ごろ、プトレオマイレスという人が提唱してから、今から500年くらい前の15世紀くらいまでは信じられていた。
(もちろん、途中途中で天動説に反する見解を述べる科学者はいたけど、ひっくり返すほどの学説には至っていない)
15世紀頃には大航海時代が始まり、天動説にほころびが見られ始めた。16世紀にコペルニクスが、太陽を中心に、地球を含む惑星(太陽系の惑星)が周りを回っているという地動説を唱えた。でも人々は理解することが出来なかった。17世紀になって、ガリレオが望遠鏡を使い、地動説の証拠をいくつか集めた。でも、キリスト教の教義に反するなどから、異端裁判を受けてしまう。結局、17世紀後半にニュートンが万有引力の法則を見つけたことにより、地動説はやっと証明されたことになる。
約300年かかって、やっと地動説こそが正しいと認められることになった。

けれど、みんなはどう? 小学校の理科で、天体のこと、習うよね。
太陽系は太陽を中心にして、その周りを惑星が回っている。地球は自転している。
当たり前のこととして、知ってることだよね。
でもそれは、過去の人たちが積み上げてきた知識。それを私たちは学んでいる。

さっき言ったように、地動説が正しいという事だけでも、認めらるようになるまで、300年もの時間がかかっている。そして、コペルニクス・ガリレオ・ニュートンっていう人が出てきたけど、地動説の証明に関わった人はもちろんそれだけじゃない。たくさんの人が、自分の人生を捧げて、地動説を証明するために長い時間を費やしてきた。

また少し、違う話をするね。

人間は大昔に猿から進化したって言われてるよね。いまはそれが本当かどうかわからなくなってるんだけど・・・
とにかく、大昔の人類は、今のような文明を持っていなかったのは確かだよね。
伝記でみたことあるかもしれないけど、ライト兄弟が初めての飛行機を完成させたのは1903年って言われてる。今からほんの120年くらい前だよね。
スマホだって、20年くらい前にはまだなかった。携帯電話を持つ人が増えてきたくらいの時代だったよ。
じゃあ、大昔は狩りをして生活していたような人類が、今みたいな高度な文明を築き上げることが出来たのはどうしてだと思う?


言葉を獲得したから。そして、それを文字で残すことが出来るようになったから。
自分の得た知識を、人に伝えることが出来るようになったからなんだよ。

すべての人類が生まれたあと、1からすべてを学んでいたら?文明はまったく進歩しない。
先人の知識を本で学ぶことが出来るからこそ、その時間を節約することが出来るからこそ、その先に新しいものを作っていくことが出来るんだよね。
地動説の証明に300年かかった話をしたけど、その天才たちも、先人の知識の上に、自分で研究を重ねていったことによってできたことなんだよ。

新しいものを作るには、既存のものの知識がないと、作ることが出来ない。
その基本を学ぶのが、学校での教育なんだよ。


そして・・・
新しいものというのは、どんどん出てくるよね。
新しい発見もだし、社会制度もどんどん変わっていく。
仕事においても、新しいことは常に出てきて、自分の知識を更新し続けなくてはいけない。
そんな義務感だけじゃなくても、「これはなんでこうなってるんだろう」って、疑問に思うことを調べたりもするよね。
みんなしたことがあると思う。 虫を捕まえた時、花を摘んだとき、「これはなんて言うんだろう」って図鑑を開く。 これも立派な勉強・学びなんだよ。


つまり人間は、死ぬまで学び続ける生き物だという事。

それは学び続けないと、社会についていけなくなるから、そういう理由もあるけれど、
本来、人間には知識欲というものがあるんだよ。

そして、みんなが生徒であるうちに学んでほしいのは、学び方を学ぶという事。

世の中には、「こうやるとうまくいく!」みたいな勉強法ってあふれかえってるよね。
「これで東大に受かりました!」みたいな本とか。
じゃあ、その勉強法を全部真似したら、東大に行けると思う?
・・・違うよね。
本を読んで知識を得るのはとても大事。 だから、その中で自分に合ってそうなものを実践してみるのはとてもいいこと。でも結局、自分に合ったものじゃないとうまくいかないし続かない。
自分にはどういったものが合うのか、どういう勉強法がいいのかということは、自分で見つけるしかないんだよ。
東大に行った人の勉強法をそっくりそのまま真似たからって、東大に行けるわけじゃないってこと。

ここにつながる話だけど・・・
正負の数の問題を解く時に、「途中式を書くように」ということを、何度も何度も言ったと思う。
これは、自分なりに自分の問題点に気づいて欲しかったから。
人それぞれ、得意なこと、苦手なことは違う。つまり、問題が解けなかったという結果は同じであっても、そうなる原因は人によって違うということ。
勉強を進めていくために、自分にはなにが足りなくてなにが必要なのか、それは自分で見つけて行かなくてはいけない。それを知ること自体が、勉強なんだよ。

間違えないでほしいのは、高い点数を取るために勉強しろと言ってるんじゃない。

せっかく勉強したのに、テスト結果に反映されなかった。 そしたら、いったいなにがいけなかったのか? 
理解が足りなかった? 暗記が足りなかった?
そうなったのはなぜ?
勉強法が良くない?
じゃあどうすれば改善される?

現状よりも、より良くなるには、問題点がどこにあって、どう改善すればいいのか。
自分でそれを見つけられる人になってほしいという事。

これは仕事でも重要なことだし、なんなら人生を通じてずっと必要になってくる能力だから。


子供たちは真剣に聞いてくれていた

途中途中で質問を加えながらとはいえ、長い話になりました。

それでも、子供たちは真剣に話を聞いてくれました。

正直、結果「将来のために」という話になってしまうし、飽きてしまうかな、おもしろくないかな、と心配していました。

ですが、時には質問にはきはきと答えながら聞いてくれたことが、とてもうれしかったです。

子供たちのお母さんたちにも後日話を聞いてみました。

どんな内容の話があったのかは話してくれなかったという子がほとんどでしたが、
「『なんか先生、いいこと言ってたよ』だって! 上から目線よね~(笑)」
という話を聞けて、私は本当にうれしかったし、時間をとって話してよかったなと思いました。

今回の話が、彼らにどのくらい響いたのか、そして記憶にどのくらい残るのかは分かりません。

ですが話の内容が残らなくても、これからの彼らの考え方に少しでもいい風に働いてくれたら、こんなにうれしいことはないと思いました。

日々勉強。

これは私たち大人にも言えることですよね。

話す内容を考えながら、自分にも言い聞かせるような感じになっていました。

いろんな学びを得ながら、これからの人生、豊かなものにしていきたいと思います。


彼らの輝かしい未来を願って。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?