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牛と暮らした日々-そこにあった句#34 事故と怪我

牛の頭を叩いて痛き十二月  鈴木牛後
(うしのずをたたいていたきじゅうにがつ)

うちでは牛の頭は叩かない。
正直に言うと、就農当初は夫に限ってだが、叩いていたこともあった。(意外と短気なのだ)
でも私が、牛を叩くのを見るのも牛に怒鳴るのを聞くのも嫌で、「お願いだから止めて」と再三再四言ってやめてもらった。
それに、叩くと人間の方が痛い。下手すると怪我をしてしまう。

酪農家は自営でも労災保険に入ることができる。(掛け金は自分持ち)
特別加入だ。特別とは、トラクターに乗って作業をしたり、牛や馬などの大動物に接する作業をする人が対象なのだ。それだけ牛に接するというのは、危険が伴う。

踏まれる、蹴られる、挟まれる、どつかれる、尻尾ではたかれるは日常茶飯事。(上の前歯がないので齧られることはない。)
牛が原因じゃない事故では、機械に挟まれる、巻き込まれる、重いものを足に落とす、電動カッターで切る、屋根の雪下ろしをしていて滑落する、高所作業中に落ちる、尿溜めに入って窒息する。思いつくことをざっと並べただけでも危険がいっぱい。

酪農っていう仕事は、凶器(後ろ足)のすぐ側で収穫作業(搾乳)してるんだよな、他の種類の農業では、こんな事ないんじゃないのかな、といつも仕事しながら思っている。

昔、3Kの仕事(きつい、汚い、危険)って言われていたが、酪農はさらに(休日がない、臭い)を加えた5Kだと、自虐したくもなる。
そして毎年、新聞で農作業事故のニュースを読むたびに、ホント、他人ごとではないと自戒する日々だ。

さて、そんな日々なのだが、夫は「骨折大王」の異名をとるほど、以前は骨折していた。
『「初雪は失せたり歩み来し跡も」の巻』で書いた首の骨折以前にも、大学2年生の時、腰の骨を折っている。北大の寮で冬に雪の上に飛び降りる伝統行事があるのだが、それを真似して、男子寮の窓から飛び降りたのだ。でも、ただ飛び降りればいいものを、1回転ひねりを加えて飛び降りて、変なところに落ちて腰の骨を折った。はんかくさい(北海道弁=ばかげた、あほらしい)やつだ。

就農してからは、足の骨は軽トラから落ちて、太い骨をボキッと。手首の骨は牛舎の2階から落ちて、グシャッと。自分ではまだ若いと思っていたのと、クライミングで軽々と岩を登っていたので、自信があったのだろう。
小骨(肋骨や足の指、手の指)まで数えたら、きりがない。

当時は、あんまり骨折するもんだから、酪農家の奥様たちに、骨粗しょう症なんじゃないかと、私が栄養のあるものを食べさせていないんじゃないかと、あらぬ疑いをかけられていた。
こうして「骨折大王」は、事故の痛みによって単なる打撲か骨折までいってるか分かる能力を身に付けた。

さて、就農当初の入院はとても困った。周りは夫の怪我ばかり心配していたが、本当に心配して欲しいのは、こっちの方だった。
私は子供が小さかったので研修を受けていなく、酪農のことがあまり分からなかった。日常の牛舎仕事は何とかなったが、ちょうど晩秋で、堆肥盤には堆肥が山積み、尿溜めには尿が満タンだった。

そして前年(就農した年)秋の2か月間に産む牛を揃えていたので、次の年も秋に分娩が集中していた。夜中の分娩と仔牛の哺乳とバケット搾乳を私ひとりでやらなくてはならなくなった。

トラクター作業では、やったことのない牽引バック(ハンドルと反対方向に作業機が曲がる)で堆肥を出していると、当時の牛乳検定員のおばさまが「可哀想で涙が出てくる」と言ってくれた。助けてくれる祖父母も親戚もいなく、昔から助け合って開拓してきた地域の人と違い、最近の新規就農なので、周りに頼ることも出来なかったのだ。

尿は、猿払村からわざわざ来てくれた、放牧酪農の先輩Kさんが「本当はダメだけど、そんなこと言ってられない。」と、ホースで沢に流してくれた。(時効)
様子を見に来てくれた、スーツ姿の農協役員(酪農家)さんに、トラクターにチェーンをつけてくれるように頼みこんだ。(スーツなのに)

慣れないトラクターを使っての除雪で滑って、自宅の壁のサイディングと窓のサッシ枠を破壊してしまった。これは2019年のリフォームでやっと直した。

発情、授精も分からないので、やたらめったら獣医さんに電話して頼んでいたら、嫌みを言われたり。
緊急にヘルパーを頼んだので、専任ヘルパーではなく補助ヘルパー(酪農家の後継者)が来てくれることなり、向こうは子供の頃から仕事を手伝っててベテランなので、こっちが使っているはずなのに、上から目線で色々言われた。(来てくれるだけでありがく体は楽になったが、メンタルがやられた)

ヘルパーの都合がつかず、ひとりで牛舎をやる日は、学童保育に子供を迎えに行けないので、「すみません。夜8時には迎えに行けるので、公民館で待つように言ってもらえませんか」と先生にお願いしたら、家まで送ってくれたこともあった。

機械の故障、何かのトラブル、全てが何も分からなくて。その度に、酪農の教科書やマニュアル本を取り出して端から端まで読んでいた。
「大丈夫。私には動く手と足があるし、考える頭もある。それに日本語が読めるからなんとかなる。大丈夫大丈夫。」と自分に言い聞かせて毎日を乗り切った。

この入院が、就農2年目と3年目の2年続けてあった。周囲には「就農したばかりだけど、もう離農するんじゃないか?」と思われていた。

この時、痛感したのは、よその牧場に研修に行く2年よりも、自分の牧場で経営の全てが自分の判断と責任という2ヵ月の方が、よっぽど知識も技術も身に付くという事だった。

さて、現在はというと。
去年も、うちの跡を継いでくれるKさんが研修に来る直前に、また手首を折った。入院こそしなかったが、急な事故でヘルパーさんの手配が付かない日は、また私ひとりで牛舎仕事をした。今では、私もかなりベテランになっているし、もう子供たちも独立しているので、昔ほどは大変ではなかったが、やっぱり、うんざりするよね。何でこんなに怪我をするかね。これが酪農やってて辛かった事のトップ1だろう。

来年の秋に離農するが、目標は「五体満足で仕事を辞める日を迎える」だ。これが、私たちのささやかな目標だ。


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